【川崎市】年々参加者の混雑とモラルが悪化する、川崎大師・金山神社「かなまら祭り」(2014年)

川崎市川崎区

2014年4月6日、毎年恒例の「かなまら祭」が神奈川県川崎市の金山神社で執り行われた。日本国内屈指の知名度を誇る、アレの形をした神輿が街を練り歩く「天下の奇祭」であり、国内外から大勢の観光客が神輿見たさにやってくる好事家達の集まる祭りとして認識されてきたが、毎年来場者が増加傾向にある。

そんな金山神社へ、祭りの前日にお参りしてきた。京急川崎大師駅から歩いてすぐの場所にある金山神社は、若宮八幡宮の境内社であり、拝殿の左側に特徴ある社殿を構えている。祭りの日には人でごった返して境内はまともに歩けなくなるので、ゆっくりお参りしたい場合は祭りの日は外さなければならない。

かなまら祭が行われる金山神社は江戸時代の東海道川崎宿の飯盛女達が性病避けや商売繁盛の願掛けに信仰していた頃の「地べた祭り」がルーツとされていて、明治以降寂れた神社だったが、昭和40年代に外国の民俗学者らの注目を集めるようになり、地元の金山神社信者らが昭和52(1977)年に「かなまら講」を組織し、現在の祭りの形の基礎が生まれている。

絵馬殿の上には昭和62(1987)年の日付が刻まれたかなまら講名義の祈願が記されているのだが、これはエイズの蔓延が社会問題化し始めた頃に書かれたもので、性に対する心構えが書き綴られている。細かく書かれているが要は「快楽の為の行為はするな」という事である。はいそうですね、その通りでございます。

他にも何やら卑猥過ぎる七福神の絵も描かれておりますが…はぁめでたいめでたい…

金山神社は元々鍛冶の神を祀っていて、社殿の中も鍛冶場を模したものになっているし、絵馬殿の中には立派なナニがそそり立った鉄床も置かれていたりする。工業都市であると共に、性の街として今に生き続ける堀之内や南町といった色街もあって、川崎の地にこの独特な性信仰が受け継がれているのだろうか。

毎年4月第一日曜日に行われる「かなまら祭」の他にも、秋頃には大師河原酒合戦に因んだ「水鳥の祭」や、鍛冶職人や鉄工関係の従事者が集まる「ふいご祭り」というのも行われるそうだ。ただのキワモノ神社じゃないんですよ。真面目な神社なんですよ。

…で、今年のかなまら祭当日。祭り自体は10時から始まっているのだが、その前から既に大量の人並みが出来ている。メインの交通手段である京急大師線もパンク状態になってしまうので、祭りに来るのであれば11時前までに来ておいた方が良い。境内は11時の時点でもう超満員状態で身動き取れず。毎年参拝者が増えまくっていて、狭い境内でとてもキャパが追い付いていない気がする。

かなまら祭りの主役級存在である、東京・浅草橋の老舗女装クラブ「エリザベス会館」が寄贈し、同会館の会員であるニューハーフの皆様方が担ぎ上げる「エリザベス神輿」の周りは既に人だかりが凄まじくて近づけそうにない。しょうがないので、幼稚園の隣で突っ立ってる卑猥な形の帽子を被った頭のおじさんと遊びましょう。毎年思うけどここの幼稚園の子供はチ○コに狂喜乱舞する大人達をどう見ているのだろうか…

境内各所にお祭り関連グッズが販売されまくっていて「男根Tシャツ」が2000円で売られていたり色々です。こういう祭り以外の時期にこんなもん路上で売ってたら公然わいせつ罪モノだなと言うようなものまで普通に置いてあるのがヤバイ。グッズは早めに行かないと売り切れる事も多いし人混みが酷くてまず店まで近づけなくなる。

場末の秘宝館の隅っこの売店で何年も売れないまま埃をかぶった状態で売ってあるような、よく分からないグッズの数々も外国人観光客によって次々飛ぶように売れていく。イライラしたら握り潰して投げつける事ができる「ぐにゃぐにゃペ○ス」1つ500円!旦那のイチモツ代わりにストレス発散したい奥様はどうぞ!

境内では恒例の巨大木彫り男根に跨げる記念撮影コーナーも健在。しかしこのコーナーに近づくのも大変で、人だかりが滞留してやはり身動きが取れなくなる。こういう所に自分の可愛い我が子を乗せる親って何なんでしょう、気が知れんわ。しかしそんな白い目で見られようが、どうしても記念撮影とかがしたいなら祭りが始まる10時までに行くのが良い。

そしてメインイベントの「面掛行列」が始まる正午前後になると神社周辺は身動きも取れない程に人だかりが出来る。だが目の前の道路は路線バスが行き来するなどして全く規制されない。そろそろ通行止めにするなど何らかの対策をした方がいいんじゃないかと思うんですが…

そんな修羅場と化すお祭り会場で毎年交通整理に精を出す常連の猫耳女装おじさんは今年も健在だった。他の神奈川県警のお巡りさんと同様いっぱしの交通整理員としてしっかり仕事をしまくるアグレッシブなお方である。

そして予定通りに面掛行列もスタート。3つの男根神輿が川崎大師周辺の街を堂々と練り歩いたのでありました。この日は午後から一時期雨が降りだすなど不安定な天気で、しかもやたらと寒い一日だったが予定の狂いもなく無事終わった。

かなまら祭が始まったのは30年ほど前かららしいのだが、ネットが普及する2000年以前までは一部の好事家の間でしか知られていない祭りだったのが、いつの間にか海外メディアに紹介されるなどして、今では人混みが凄すぎて携帯電話の回線すらパンクするくらいだもの。そのうち事故でも起きなければと心配するのだが、祭りはまた来年までおあずけだ。

ちなみに東日本大震災があった2011年のかなまら祭は面掛行列や境内のバンド演奏などのイベントが自粛され、さらに近年はネットの普及で祭りに乗じて騒ぎたいだけのDQNが群がり著しく秩序が乱れている事から、2016年の祭りでは記念撮影用の木彫り男根が撤去され、エリザベス御輿はエリザベス会館の会員の高齢化を理由に会館側が担ぎ上げを辞退、手押し車で運ばれるのみとなっている。


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