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まだキューポラのある街「川口」 

川口市と言えば我々取材班的にはもっぱら西川口ばかりが思い浮かぶが、それでは埼玉有数の工業都市として栄えてきた川口に対して失礼過ぎる訳で、そういえば今まで赤羽や西川口、蕨といった京浜東北線DEEPゾーンに囲まれ見向きもしなかった川口駅を降りる事にした。

川口と言えば今ではもっぱらタワーマンションが乱立する埼玉都民のベッドタウンと化しており駅の西口、東口両方にご立派なペデストリアンデッキが設けられ、随分と都会じみた風貌の風景を見せている。

駅前をよく見たら「そごう」まであるし、むしろ隣の赤羽やら王子なんぞよりもよっぽど大都会である。駅前では湘南新宿ラインを川口駅で停めようと住民運動っぽい事をやってる団体まであるし。

その一方で、巨大なライオン像がビルの屋上で目を光らせている川口駅東口の風景。背後にサラ金のどでかい看板があったりして、やはり生活圏を共にする赤羽や西川口に通ずる雰囲気がある。

再開発で駅前に誕生した複合商業施設の中には立派な図書館まであり多くの市民が読書している姿をガラス張りのビルの外観から見る事が出来る。

そんな近代的な駅前ビルの名前はその名も「キュポ・ラ」(笑)そのまんまじゃねえかよ。鋳物の街としての栄華を偲んで名付けられたらしい。キューポラというのは元は英語で、実は発音的にはキュポラの方が近い。

キュポ・ラの前には「働く歓び」と名付けられたガタイのいい鋳物職人の銅像があった。

戦後世代より以前の人間にとって川口と言えばもっぱら「鋳物」の街という印象の方が強い。吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」はあまりにも有名だが、東京五輪以前のとてつもなく古い映画のシーンに映し出される川口の白黒映像は我々の知るベッドタウン川口の風景とは似ても似つかぬ。

戦後の高度経済成長期において川口の街は埼玉県内はおろか全国を代表する工業都市として名を馳せていた。そして東京五輪に使われた聖火台はここ川口で鋳造された事も有名だ。

無駄に広々とした再開発ビルの前の「キュポ・ラ広場」を見ていても、映画で見たような汗臭い労働者の姿はない。都内に通う普通のサラリーマンが多数派になっている。完全に駅前の風景はベッドタウンだ。

そして川口駅の駅名板が鋳造プレートで作られているあたりも、今でも川口が鋳物の街なんだぜという事を雄弁に物語っているのである。

ベッドタウン的風景が広がる川口駅を後にして我々は川口のもともとの市街地であった本町・金山町方面に向かう事にした。駅の南東方向に向かう県道89号線を進むと近代的なマンションに紛れて左手に機械部品の山田商店の建物がある。まさしく昭和の工場街の風情を留めた一角である。

道路沿いに並ぶ古い街灯の柱を見ると「相互會」の文字が刻まれていた。昔の商店街の名前だったのかも知れない。昭和二十七年の文字も見える。「キューポラのある街」以前に作られたものか。

あの映画も相当古いし、今の川口に鋳物工場はあれど「キューポラ」の実物はあるのかと半信半疑に思っていたが、実はまだ結構残っている。川口駅から最も近い場所に現存するキューポラは栄町二丁目にある「村松鋳造」のもの。工場の佇まいも昔のままである。

工場の玄関口からまるっきり裏側に回るとそこはだだっ広い駐車場になっていた。ここからちょうど良く工場の全景を収める事ができる。

工場の屋根に載った巨大な煙突。これ自体は「キューポラ」とは呼ばず、あくまで屋外に出ているのは煙突部分だけである。鋳物の溶湯を作る溶解炉がこの煙突の下にあるという事だ。

戦後川口市街地に数多くあった鋳物工場はおしなべて廃業またはさらに郊外に移転し、駅に近い部分は工場の地主がマンションに転用してしまい、村松鋳造のように今でも中心市街地に工場が現存しているケースは珍しくなった。川口の街には今でもあったんだな、キューポラ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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