川崎のドヤ街は日進町だけではなかった!川崎区貝塚・渡田向町にある「貝塚ドヤ街」とは

川崎市川崎区

川崎市臨海部は首都圏屈指の工業地帯として昭和の時代に栄え、東京と横浜に挟まれた地の利もあって、戦前から多くの労働力が集まり、また一方では劣悪な環境のスラム街も各所に出来ていた。そんな街の歴史をプンプン感じる事ができるのが、川崎にもある「ドヤ街」の存在。

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しかし、川崎でドヤ街と聞くと真っ先に思い浮かべるのが、京急八丁畷駅にも近い場所にある「日進町」。こちらは電車の窓からも見えるので割と有名なのだが、もう一カ所「貝塚ドヤ街」というものがあるというのを、つい最近耳にした。それどこ?と地図を睨みながら現地へやってきた。

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場所は川崎駅から南東方向に約1キロ、徒歩15分くらいの所にある、川崎区貝塚、渡田向町といった地域。付近はちょっとした商店街になっていて、飲食店もちらほら見かけられる、何という事もない下町的な風景。

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川崎駅前の大通り(県道101号)に近い側からアプローチすると、ごく一見すると平凡そうに見える住宅街に、やたら路上駐輪が多すぎな一画があり、これは明らかに簡易宿泊所のそれであろうと分かるアパート風の建物がいくつもある。目の前は児童公園だったり、普通に家族連れが住んでいるマンションだったりして、住民の質がアンバランスだ。

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「鈴や」の屋号の看板が掛かる二軒並んだ簡易宿泊所。この写真だと手前が本店で奥が支店となる。自転車の数からしても20~30人くらいが共同生活していると思しき場所だが、貝塚、渡田向町の一帯にはこのような建物が未だに十数軒現存している。

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少し離れた所にある「大国屋」も変則的な三階建ての木造ドヤとなっており、相変わらず夥しい数の自転車が停められている。この付近のドヤ街は昭和28(1953)年頃からでき始め、昭和30年代に相次いで建設されたものだという。

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そして何よりこの地区の散策に役立つのが「神奈川県簡易宿泊業生活衛生同業組合」の名義で置かれた「貝塚地区案内図」が旅館鈴や支店の前に置かれている事だ。貝塚二丁目に7軒、渡田向町に4軒、そして少し離れた大島一丁目の「相生荘」と富士見一丁目にあった「ビジネスホテル八汐」(既に廃業)の合わせて13軒が記されている。日進町ドヤ街のような密集具合ではなく、あくまで散発的なのが特徴ですね。

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この地図を元に現存する簡易宿泊所の様子を次々と見ていく事にする。続いては「丘園荘」。2棟並んだ形になっている。玄関前には自転車が十数台。

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ドヤのすぐ隣がコインランドリーとコインシャワーになっている親切設計。銭湯に入る金がないという時はコインシャワーでお手軽に済ませられるという選択肢がある。湯冷めする前にドヤにも帰れるし、住み心地良さそうですね。

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「吉の湯」という屋号の昔ながらの渋い佇まいの銭湯は、貝塚ドヤ街の住民からすればたまの贅沢に使うものであろうか。神奈川県の銭湯料金って、去年の消費増税時に470円に値上がりして、東京都の460円よりも高いんですよ?

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さらに、簡易宿泊所が3軒、立て続けに似たような店構えでずらりと並んでいる一画。ここなんかもっと屋号のネーミングが安直で、手前から「旅館第一」「第二厚生館」「ビジネス旅館ダイサン」と番号順に揃っている。

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それに貝塚・渡田向町地区のドヤ街にある簡易宿泊所は、その殆どがドヤ街にありがちな「料金表の看板」を掲げていない。恐らくの事だが、既に実質的には高齢者向け福祉アパートになっているのではないか。

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第一から第三まで三軒続きのドヤを見た後、次のブロックで現れるのは三階建ての高密度な木造ドヤが四軒固まった一画。まずブロックの北側に亀島荘というのがあり、そこから道路を時計回りに一周すると…

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東側に回るとまたまた似たような佇まいの木造三階建てが二軒横並びになっている。第六平和荘に第七平和荘。第一から第五までの平和荘はどこへやら。そしてチャリンコ多すぎ。

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この辺の建物は全部外観や構造は似通っているので、同時期に同じ業者が相次いで建設したものではないかという事は容易に想像できる。この辺のドヤの業者は東京の山谷、それから江東区の旧高橋ドヤ街から来た経営者、それから地元の経営者の3グループに分かれているらしいのだ。

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最後にブロックの南側へ。ここには「花家」という屋号の簡易宿泊所がある。やっぱり建物の形は一緒くた。これらのドヤが出来上がった1950~60年代は川崎区全域に不良住宅やモグリのドヤ、不法占拠スラムが溢れかえっていたとされる。

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昔は富士見公園が日雇い労働者の寄せ場になっていて、この貝塚ドヤ街は「通勤圏」にあたる。日進町のドヤ街、それに大島・桜本・浜町の「おおひん地区」…高度経済成長期の土台を影で支えた都市の最下層がこの川崎区に集結していたということか…

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そんなドヤ街の歴史をずっと眺めてきたかのように、渡田向町商店街の一角に店を構えている老舗の大衆食堂「かなざわ食堂」。創業昭和36(1961)年、半世紀超の歴史を超える。朝っぱらから定食にがっつきながら呑む事も可能な地元のオッサン達のオアシスである。

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あと、もう一軒だけ簡易宿泊所が少し離れた大島一丁目にあるんですが…これが「相生荘」ですね。三階建ての錆びたトタン葺きの外壁が味わい深いのもあるが、何故か路地の奥に引っ込んでいて、何故か未舗装の砂利道となっている。

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まだまだ川崎の臨海部には知られざる「昭和の貧困」が渦巻く風景がそこかしこに隠されている…底なしの奥深さを持つこの街の魔力にまたもう一歩引き込まれた感のある一日だった。

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