別にわざとらしく博物館的に存在しているわけでもないのに昭和のレトロな風景がそのまま残っている「桐ヶ丘中央商店街」。昭和30年代の桐ヶ丘団地創設以来存在し続けてきたようだが、およそ半世紀の間、リニューアルもされずにただそのまま時間だけが流れた不思議な空間だ。全体的にレトロすぎてヤバイのだが、とりわけ商店街の真ん中付近にあるこのオモチャ屋がただならぬオーラを放っている。
オモチャ屋のまん前に置かれている青いボックス型筐体の中にはラムネなどの菓子が詰まっている。UFOキャッチャーの原型となったクレーンゲームである。正直こんなもん、初めて見たぜ。
オモチャ屋のゲーム筐体やガチャガチャ類が商店街の中央にもずらりと置かれている。その割にはそこで遊ぶ子供が皆無なのがなんともやるせない気分だ。
ついでに潰れたパン屋の横手に並べられたのは、子供を載せて20円入れると3分くらいグイングインと前後に動くだけの、あの乗り物の数々。しかし5台並んだいずれも現役時代が何十年前なのか見当もつかない古さだ。
左手をもがれてもなおポーズをとり続けるウルトラマンの一種らしき乗り物。もう3分間も動いてられない。完全に故障している。
こんな乗り物に乗って遊んでいた子供は今頃白髪の混じった中年オヤジになっているであろう。記憶の彼方にしか存在しなかったはずの懐かしい乗り物類が、桐ヶ丘中央商店街に来ると普通に置いている。動かないけど。
商店街の店舗群は1階が店だが2階は普通に住居になっている。裏に回ってみるとこれまた面白い。各々勝手に増築したバルコニーがあったりとまるで発展途上国の風情だ。
裏手の中華料理屋の横にはプロパンガスのボンベがあった。いまどき都内でも都市ガスじゃない場所があるのだ。意外。プロパンガス業者の名前が記されているが住所は都内ではなくさいたま市だった。
おそらく商店街が出来た当時からそのままであろう店舗の構造が見える。
そもそも桐ヶ丘団地は高度経済成長期を目前にした昭和30年代初期に作られた団地であり、住居団地に向き合った商店街は戦後の計画的人工都市のひな型であるとも言える。それは全国各地に大規模団地が造成される走りとなった訳で、そういう意味でも存在価値は大きい。
しかしここまで来ると団地の商店街というよりは古代遺跡のようである。「赤羽のマチュピチュ」と形容するのは大袈裟かも知れないが、なんだかしっくりくる表現だから勝手にそう呼ばせてもらおう。
本物のマチュピチュとは違ってJR赤羽駅からバスに乗って来れるので、二の足を踏まずに気軽に探索に来るが良い。この寂れっぷりは他の追随を許さぬ。超おすすめ。