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これが足立区の首都!「北千住」を歩く (2009年)

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尾崎ハウス

北千住は荒川と隅田川に囲まれた中洲のような場所に形成された町だ。日光街道の宿場町として古くから栄えており、現在でもその面影が残っている。

東京芸術センターの前の地面に、千住界隈の史跡が書かれた地図がタイル状に張られている。その地図に従って、宿場町の跡を確かめるように南へ歩いた。

旧日光街道を歩くと地元商店街が作ったと思われる、屋号の名を墨で書いた木の看板が沢山店の前に掲げられている。

店の建物だけは現代風にコンクリートだが看板だけがタイムスリップしているというミスマッチ感が微妙といえば微妙。

この界隈は千住青物市場(やっちゃ場)という施設が江戸時代に存在していたということが書かれている。

千住宿歴史プチテラス」という施設もあり、この界隈の「やっちゃ場」時代の歴史を見る事もできるのだが今回は素通りしてしまった。

目指すは尾崎豊が倒れていた民家、通称「尾崎ハウス」である。

北千住駅から南へ10分程歩くと千住関屋町というところに来る。京成線の線路だけが北千住駅方面にそっぽを向いて東西を跨いでいる。京成線ユーザーが北千住駅に行くには関屋駅で降りて東武線の牛田駅に乗り換えて行くか、もしくは徒歩10分を要する。

どうやらこの向こうが尾崎ハウスに近いのだが…

京成線の高架下には千住関屋町の町を案内する掲示板が掲げられている。一目見れば分かるが工業地帯だ。

っていうか、そもそも「ここは工業地域です」と赤文字で書かれている。

半分工場で半分住宅といった感じの場所だ。

常磐線等の鉄道高架下を跨いで西側は千住河原町となるが、半分工場で半分住宅といった趣きは変わらない。様々な業種の工場があるが、この地域では製靴工場が目立つ。ここいらは地味にシューズの街なのである。

そんな場所にあっけないくらい自然にあったのが「尾崎ハウス」と呼ばれている民家の軒先。千住河原町45-9。言うまでもなく尾崎豊を知る者にとっては有名な場所。

全身ボロボロのまま全裸でぶっ倒れていたという不審な死に方で幕を閉じた一人のシンガーソングライター。

その謎めいた最期に、ただでさえ強いカリスマ性に加えて今でも神話のような存在になってしまっているが、尾崎没後15年を超える今の時代にも夜の校舎で窓ガラスを壊して回ったり、盗んだバイクで走り出したりするDQNが相変わらず居ると言う事を見ても改めて日本社会の病理が全く変わって居ない事を思うのだが。

尾崎豊を偲んで、毎年の命日にはファンが大勢集まり尾崎の歌を熱唱するのだとか。時折ファンが来る度に民家の住民の人が好意で部屋を開放してきたが、最近は尾崎の命日と誕生日の年2回だけ部屋を開放している。

<追記>「尾崎ハウス」は地主様の「もうそろそろ尾崎から『卒業』してください」との意向で2011年10月に解体されました。

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足立区の首都「北千住」を歩く(2009年)



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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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