溶岩に呑まれた集落、火山ガスが漂うゴーストタウン…伊豆諸島「三宅島」上陸記

島嶼部

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高濃度地区に指定された三池浜。未だに火山ガスの匂いが漂っていた

三宅島 三宅村

旧村役場などがある三池港から島の周回道路(三宅島一周道路)を北側に進む。黒砂で覆われた三池浜沿いに直線道路となった一帯にも集落があった。噴火前は海水浴場だったという三池浜も、今では全くの無人地帯。三池浜で車を降りるとまたしても強い硫黄臭が鼻をつく。ガスマスクの携帯義務が無くなったとは言え、気まぐれに漂う火山ガスが局所的に高濃度になるゆえ、確実な安全性は保障されない。

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バス待合所もあって村営バスが走っているようだが、当然ながらここにも人の姿はない。ふと足元に目をやると、鉄製の側溝やマンホールの蓋は容赦なく錆びついてしまっている。火山ガスの影響だろう。

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一周道路沿いに三池浜の集落を眺める。どの家も無残な姿を晒していた。この地区も2013年7月から居住禁止区域の指定が解除・緩和され現在は「準居住地区」という扱いになっている。住む事は一応出来るものの、条件付きになっているのだ。

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準居住地区に指定されている三池・沖ヶ平地区では喘息などの「高度高感受性者」や19歳未満の者は居住禁止、またそれ以外の者でも三宅村が貸与する有害な二酸化硫黄を除去する脱硫装置の設置が無ければ生活を認められない。そんな条件がついている中では、家族揃って暮らせるという事は到底無理な話である。

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それでも一部住民は自分の意志で戻ってきて、火山ガスのリスクを承知で暮らし始めているが、それもかつての集落の住民のうちほんの少数に過ぎない。

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噴火前までは海水浴客を相手にしていたと思われる店舗の跡。建物の崩落が激しいのは経年劣化によるものだけではなく高濃度の火山ガスの影響もあったのだろう。

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スキューバダイビングがどうこうみたいなステッカーが貼られているかつての店の玄関口が見える。見るからにマリンスポーツ系の何かの店ですわな。だが救いようもない程荒れ果てている。2000年の噴火による避難期間中、隣の御蔵島ではドルフィンスイムの観光客が殺到するようになった。その一方でこの状況。運命の分かれ目のようなものを見た気がした。

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同じく海水浴客を相手にしていたであろう大衆食堂の成れの果て。看板すら外れて無くなっていて、元の屋号もわからない状態。

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ガラス戸越しに中を覗くと、じわじわ建物が崩れて周囲の自然に飲み込まれそうな勢いだった。着の身着のままで逃げ出したのが分かるように、家財道具や食器類や調味料などがそのまま放置されていた。こういうのを見ると非常に生々しい。

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2000年の噴火前までは約3800人いた島の人口も全島避難指示が出て4年半後に解除となって以降、帰島者は3000人程度いたとされるが、それも現在では2700人程度まで減っている。完全に復興した訳ではない事は一目見ても明らかだし、今後もこの一帯が元通りになるとは思えない。

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一周道路から外れて内陸部に向かうと、その先にも廃屋がぽつぽつ残っているのが見られる。立入禁止となっていて足を踏み入れられない場所にも家屋が見える。遠目にしか見られないが、屋根が落ちて骨組みだけになっていた。

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周囲の山は長年火山ガスに晒され、かつて鬱蒼としていたであろう樹木も全て枯れ果ててしまっていた。草が生え始めて山が緑色になっているという事は、火山ガスの濃度が下がって再び植物の生育が可能になったからだろう。

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何一つ人工的な音が聞こえてこないゴーストタウン化した集落には、人が住まなくなった家を黙々と解体していた業者が操作するユンボの機械音だけが淡々と響いていた。

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いかに自然が残酷であろうとも、その事を恨んだりする訳にもいくまい。火山ガスが襲う集落で自然と共生する生活を腹に括った住民の覚悟だろうか。自然と人への感謝を示すメッセージが家の壁に描かれている。

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