島の入口に案内図があるので見てみると、やはり工場ばかりである事が分かる。島全体の住所が江戸川区東葛西三丁目16番もしくは17番となっている。島の歴史を辿ると、この妙見島は江戸時代には下総国欠間村の飛び地でかつて千葉県に属していたというが、明治28年に東京都に編入されている。
それはそうとこの妙見島案内図には浦安橋から南側がすっぽり切り取られて存在しない。あんまりである。まずは島の南側を見てみる事にした。
とはいえそこにあるのは一軒のホテル…どうやらこれが島で唯一の宿泊施設らしい。やはりここはトロピカルでパラダイスなのであろうか。しかし全然南国風味ではない。ビーチパラソルに貸切プールなんてものもどこにもない。
それどころかホテルの入口に掲げられた看板を見たら「&船宿」などと書かれていて思わず笑ってしまった。ラブホに船宿という組み合わせは斬新。これが妙見島クオリティ。船のままチェックインできたら最高そうだが、そんな感じには見当たらない。
そんなホテルの隣には妙見島唯一の大衆食堂があるが、ことごとくシャッターが閉じられたままになっていて寂しい限り。やはり廃墟の島なのだろうか。
島の南側にある船宿「西野屋」の建物がさらに隣接している。屋形船の他にも釣り船を出していて、早朝に来れば魚釣り客がちらほら訪れるのであろう。ちなみに看板に書かれた電話番号の市外局番が047で、浦安のものとなっている。
橋の下にはお約束事のようにヤンキーの落書き。さすが江戸川区らしい風景。しかも暴走族の名前が東京下町連合である。
今度は島の北側に目を向ける。島内を往来する唯一の道が島の東側を走っているのだが、工場の操業が止まる土休日に訪れるとご覧の通り寂しい限りの光景が広がっている。
反面、平日に訪れるとひっきりなしにダンプカーが走り抜けるので危なっかしい事この上ない。歩行者は岸壁沿いの歩道を利用すべし。
メインストリートの西側一帯が工場街のオンパレード。平日ならばもっと騒々しかっただろうが、日曜日にやってくるといたって静かなものである。
しかし、そんな荒涼とした島にも従業員の寮らしきアパートが建っているのが見える。殆ど廃墟かと思ったら洗濯物が干してある部屋を見つけた。こんな場所で生活だなんて鬱にならんものなのだろうかと余計な心配をしてしまう。
民家らしき民家はこの一軒くらいしかなかった。某ダーツの旅で言う所の「第一村人発見」となるかと思ったがやはり人の気配がない。やはり殺伐とした孤島である。我々はさらに島の奥地へと足を踏み入れる事にした。


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