沼袋駅近くにある「旧中野刑務所」跡地に広がる平和の森公園が気になる

中野区

山の手副都心の一つで国内最大の繁華街をも抱える新宿区に隣接する「東京都中野区」。職住近接型生活を行う独居世帯が多く、とりわけ家庭を持つ事もない非婚の単身者、もしくはLGBTな方々が多く暮らす土地で、区内の公園や緑の少なさからもお世辞にもファミリー向きと呼べる街ではない。

そんなご家族連れ不向きタウン・中野区でも一応ながら広い公園というものがいくつかある。新江古田駅近くにある「江古田の森公園」、新井薬師前駅北側にある「哲学堂公園」、そして今回訪問する沼袋駅近くにある「平和の森公園」といった所だ。しかし中野区で公園と言えばほぼ例外なく野郎どもの夜の社交場となっており夜な夜なアッー!と雄叫びが挙がるようなアブナイ場所となっている。

しかも江古田の森公園は元結核療養所、そしてこの「平和の森公園」は元刑務所という曰くありまくりの歴史を持つ土地。なぜ中野区は公園の一つに至るまでダーク要素がてんこ盛りなのであろうか。ともかく「平和の森公園」がどのような場所なのか気になったので訪れた。西武新宿線沼袋駅からすぐの場所にある。

中野の「平和の森公園」には広島の被爆敷石を使った平和記念碑がある

中野区新井三丁目に所在する「平和の森公園」、旧中野刑務所跡地に整備された公園で昭和58(1983)年に開園して以降、区内最大級の公園として機能している。同名の公園が大田区や全国の他の地域にも存在するが、別に関係はなく、公園が開園した前年の昭和57(1982)年に制定された中野区の「憲法擁護・非核都市宣言」に基いて命名されている。

公園入り口に誇らしく鎮座する平和記念碑。本来平和を希求する事に右も左もないはずだが、何故か全体的にサヨサヨしさが際立つ中野区の独自路線である。記念碑の石は広島からわざわざ持ってきた旧広島市庁舎の被爆敷石であると記されている。

唐突に現れる弥生時代の竪穴式住居レプリカ

5.5ヘクタールもの面積を誇る平和の森公園内を歩き回る事にする。まず唐突に現れる弥生時代の竪穴式住居のレプリカがのっけからシュールな画を放っている。公園内は先土器時代から江戸時代末期までの複合遺跡である、との事。

ただ竪穴式住居のレプリカは肝心の出入口の部分が塞がれてしまっていて出入りする事すら出来ない。どうも場所柄ホームレスの寝床にもなっている公園だし、中野にはとても多い野郎どもによる竪穴式住居の不適切な「発掘作業」も行われる恐れがあるので、やむなしと言った所か。

水捌けの悪い低湿地帯に付けられる「袋」地名

カルガモが泳ぐ人工池もある広々とした園内。周囲を台地に囲まれ、その真ん中に妙正寺川が流れる水捌けの悪い湿地帯だったというろくでもない理由で「沼袋」という地名がこの辺に付いているのですが、地名の由来となった沼ってどこにも見当たりませんよね。

広い関東平野は低湿地帯の宝庫で、「袋」地名はその特徴を露骨に示している場所ばかり。東京に「池袋」も「沼袋」もあれば、足立区の最果てにある花畑八丁目には「桑袋」というのもあるし隣の埼玉県八潮には「西袋」もある。それに川口には「江戸袋」だってあるし、さいたま市南区には「鹿手袋」、それと越谷に行けば「大袋」というのもあるよね。なんだ、埼玉ばっかりじゃん。

平和の森公園の自慢、開放的過ぎる芝生広場

元刑務所という業の深い土地でもある中野区の平和の森公園であるが、公園の自慢でもある広い芝生広場はなかなかのものである。狭苦しい住宅密集地しかない中野区内でこれだけ開放的で広く空を見渡せる場所ってここくらいしかないのでは?ちなみにこの芝生広場の真下は隣接する中野水再生センターの沈殿池である。

さすがにこの場所は地域のご家族連れや子供らが遊んでいる姿が見られるが、その一方で「上半身裸での日焼け等は、ご遠慮願います。」と中野区公園維持・管理担当の名義で注意書きが書かれた立て札が置かれている始末。「中野区の公園で上半身裸で日焼け」という行為、意味分かりますよね。北区の岩淵水門近くの荒川河川敷なんかに夏場に行くとよくいるワイルドな人種です。

ポケモンGOプレイヤーのせいでハッテン停止中

中野区内にある他の公園がそうであるように、この平和の森公園も例に漏れず「野外系」の野郎どもが夜な夜な集まる場所になっているらしく、野球場の横にある公衆トイレがリアルヤマジュンワールドよろしく「不適切な利用」で使われている模様。

中野区全体がソッチ方面の方々の旺盛な土地だが、新宿二丁目に集まるイカニモな方々は丸ノ内線沿線を、こうした公園を「狩り場」にするワイルドな方々は西武新宿線沿線を選ぶ傾向があり同じ中野区でも棲み分けが行われているらしいのだ。

ただ近年、平和の森公園等に集まる野郎どもはネット掲示板の動向を見る限り自粛ムードが強まっている。何故なら「ポケモンGO」プレイヤーが夜間公園内でポケモン探しをしに来るせいで、ソッチ方面の愛好家一同は自分達のリアルポケモン(隠語です)を自慢する機会が奪われており掲示板にその手の愚痴が書き込まれているのを見る。

中野刑務所の跡地を見に来たんだろうが、オイ!

いつもの悪い癖でついついソッチ方面に話題が逸れてしまったが、中野区の平和の森公園は元々「中野刑務所」という立派な刑務施設があった土地で、昭和58(1983)年に刑務所が閉鎖されてからもその土地の一部は法務省矯正研修所東京支所、公益財団法人矯正会館といった関連施設が現存している。

法務省の矯正研修所というのは刑務所や少年院、各種矯正施設に勤務する職員を研修する文字通りの施設となっている。矯正研修所の敷地内は一般人立ち入り不可っぽいんですが、事前予約すれば中に入れるらしいですよ…

矯正会館の建物横に「刑務所作業製品(CAPIC)販売所」が併設されていて、日・月曜は休業日となっているが一応通年で刑務所で受刑者が作った家具や靴、各種製品が購入できる施設となっている。

矯正研修所の敷地内には入れないので、仕方なく平和の森公園及び中野水再生センターの敷地と矯正研修所の間をぶった切る通路に入る。桜のシーズンには花見もできるような場所になっているが普段はこの通り寒々しいったらありゃしない。

するとフェンス越しに見られるイカツイ煉瓦建築が刑務所跡地の面影を唯一残す物証となっている「中野刑務所(旧称・豊多摩刑務所)表門」である。裏側しか見られないのが残念ですが、ちゃんと予約して中に入って表側から見る事も可能らしいのでお暇な人は試してみて下さい。

平和の森公園の土地に昔あった「中野刑務所」とは

中野刑務所は明治43(1910)年に手狭になった市谷監獄(現在の新宿区富久町にあった)から移転し設置されて間もない大正4(1915)年に建てられたものである。移転当時は豊多摩監獄と呼ばれ、戦後はGHQによる接収を受け、昭和32(1957)年に返還されて中野刑務所に改称するまでは「豊多摩刑務所」という名称で呼ばれていた。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

大正末期から戦時中までには治安維持法のもとに数多くの思想犯が収監された事でも知られている。「蟹工船」で知られるプロレタリア文学作家の小林多喜二、創価学会二代目会長の宗教家・戸田城聖といった錚々たる面々がこの刑務所に入っていたというのだ。


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