成田空港滑走路目前、参拝しただけで100%職質される禁断の「東峰神社」へ 

成田市

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国の強引な土地収用を発端に、現地農民や極左過激派、膨大な警察隊、それに莫大な税金が投じられ、1978年5月の開港までに血で血を洗う抗争が繰り返されてきた成田空港の裏面史、その現実を直視出来る場所が空港北側一帯にある天神峰、東峰の2つの集落だ。

写真だけではこの土地の現状を伝える事は出来ない。田舎の何の変哲もない森の風景のように見えるが、常にジェットエンジンの轟音が響き渡る空港用地に囲まれた土地なのだ。

今も反対派の農家があるという土地の脇道から、所謂「団結街道」と呼ばれている市道だった場所に入る事が出来る。近い将来、市道が成田空港会社(NAA)に売却されて廃道となるという話だったが、一応まだ普通に進入出来そうだったので、入ってみる事にした。

脇道に入ると、そこが団結街道と呼ばれているのが分かったのは反対派が建てた「砦」に「団結街道閉鎖阻止!」とスローガンが書かれていたからだ。

よく見るとヘルメットを被った農民、いや活動家と思われる人々の姿があったが、こちらが近づいても話しかけてくるでもなく、その場にじっとしていた。

この先に続くのが「団結街道」。両側を鉄柵で覆われていて、まるで刑務所の中に居るかのような錯覚に陥る。反対派の農家の所持する農地が実はこの向こう側にもあって、もしこの道路が封鎖されると「生活権を侵害する!」との理由で抗議活動を行っていたようだ。

先日にも農家の地主兼活動家が警察の御用となる一悶着があったようだが、この一件で、市道を封鎖する予定は当面無くなったそうである。

とりあえず行ける所まで行こうと思った訳だが、途中で左側に茂みに囲まれた鉄の箱のような構造物が見える。よく見ると有刺鉄線で覆われていて物々しい。これが三里塚闘争の歴史を封じ込めた団結小屋「天神峰現地闘争本部」の成れの果ての姿である。現在もこの建物の所有権は反対派にあって、撤去に向けて係争中とのこと。

目の前に暇そうに任務に当たる機動隊員の方々が居たので、事情を伺いつつ念の為に東峰神社に一般人が立ち入っても構わないのか尋ねてみた。


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なにせ東峰神社はブツ切れになった第2滑走路の終端すれすれにあり、ロケーションが最もヤバイ場所に位置しているのである。もしもそこに過激派が変な仕掛けでもすれば、恐ろしい事態になる。いつ立入禁止になってもおかしくないような場所なのだ。

すると機動隊員は「東峰神社には立ち入ってはダメという事はないですが、行かない方がいいですよ、機動隊に囲まれますからと、やんわり脅しを掛けてくる始末。

事前の情報で、東峰神社への立ち入りは確実に警察による職務質問を受ける羽目になると言う事は聞いていた。それは覚悟の上で、どうしても見ておきたいのだ。行かない理由もないし、警察に事情を聞かれてまずいような事もしていない。我々東京DEEP案内取材班はいたって善良な市民ですよ、はいはい。

そういうわけで、直接東峰神社に向かう事にする。第2滑走路の建設予定地となる東峰地区へは、誰でも車で入る事が出来るが、その先はいつ警察に職務質問を受けてもおかしくないような状態だ。

空港西側から入るとここ東峰トンネルを抜ける事になる。そのまま東峰地区を過ぎると、栗源町(現・香取市)方面に抜ける事ができる。

空港西側から東峰地区に来ると、ほどなく左手に「東峰神社 この先行止まり」の看板がご親切にも現れる。標識が出てるくらいだから立入禁止なんて事態にもなっていない訳だ。あくまでドライブがてらに寄りました程度の気軽な気持ちでそのまま進入する。

しかしこの時点で進入路の真向かいに待機している機動隊にマークされてしまう。ここは三里塚闘争が続いている東峰地区の中でも特別に警備体制が厳しい場所で、常に機動隊のバスが2~3台止まっていて、車や人の通行を監視している。

虫垂のように伸びる進入路の突き当たりに、何の気なしに佇んでいるのが「東峰神社」である。町の小さな鎮守といった所だが、かつてはこの付近に村があり、農地があり、人の暮らしがあった場所なのだ。

東峰地区の鎮守である東峰神社は、民間航空のパイオニアと言われる伊藤音次郎氏が昭和12(1937)年に航空機事故での犠牲者を祀る為に津田沼にあった自身の研究所内に建立した「航空神社」が元である。

戦後になり東峰地区への入植が行われ、伊藤氏本人が開拓民の一員としてこの土地に来た時に遷座され名前も「東峰神社」になった。東峰地区の鎮守として地元の崇拝を受けていた神社で、創建時期は昭和28(1953)年と比較的新しい。

小さな社に小さな石鳥居があるだけの非常に簡素な神社だが、この東峰神社が現在の三里塚闘争における象徴的存在になっているのだ。

左側には手水舎と思われる小さなあずまやが置かれていたが、手洗い出来るような水もあるはずがない。

その傍らには「皇紀二千六百年記念 社交會」と書かれた小さな石碑がある。皇紀2600年というのは、東峰神社の前身である航空神社を設立した伊藤音次郎氏が千葉県稲毛に伊藤飛行機研究所を設立した昭和15(1940)年である。後に高潮被害により研究所は津田沼に移転した。

この伊藤氏は日本の民間機で初めて首都東京の上空を飛んだ人物として知られるが、出身は現在の大阪市浪速区恵美須町。大阪人だったのかよ。

まさか日本の民間航空のパイオニアが建てた神社が日本を代表する国際空港の新滑走路の妨げになってしまうだなんて運命のいたずらも大概なものだが、そんな東峰神社を避けて航空機は滑走路と駐機場を神経質そうにそろそろと移動している。

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