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城下町小田原を歩く (4) 青物町商店街

旧市街地、すなわち本来の小田原市の中心市街地は駅前ではなく、かなり南側に外れた本町付近にある。国道1号線が東西を貫く「国際通り」交差点までやってきた。
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この界隈の散策は小田原の街の原型を拝むには外せない。JR小田原駅から徒歩10分以上も掛かる為に非常に人通りも少なく、ここが本当に中心市街地だったのか疑わしいとすら思える。


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国際通りの地名を見るとまるで沖縄の那覇みたいなセンスだが、なぜ国際通りの名がついているのか不明。単に「銀座通り」と同じように、一番栄えていた場所をそう呼んでいただけかも知れない。
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国際通り交差点から南側にずらりとアーケードのかぶさった「青物町商店街」という通りが続いている。東海道の宿場町だった時代には一番栄えていたはずの界隈。小田原の古い街並みが今でも残っている。シャッター街だけど。
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青物町という地名の通り江戸時代には八百屋などが立ち並び商人の町だったと言われる歴史ある通り、アーケードが繁栄の名残りを留めてはいるが、シャッターを下ろしたままの廃墟同然の商店が目立つ。
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見た目から判断すると8割方シャッター街である。熱海銀座でもこんなに極端じゃなかったけどなあ。なんとも居たたまれない気持ちになる。
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もう何十年もほったらかしにされてそうな建物もちらほら見受けられる。小田原駅周辺に中心市街地がシフトしてしまったのもあるし、モータリゼーションの影響もあるので、この商店街が再生するような兆しは全く感じられない。
あまり見るものもないので再び国際通り交差点まで戻る。
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国際通りという名前だからって沖縄みたいにアメリカンな店や南国ムードが漂っている訳ではない。時代に乗り遅れたような古い商店の建物が残っているだけだ。
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国際通り交差点の西側は突き当たりのT字路上に「小田原市民会館」が立つ。国道1号はそこから左側へ曲がり箱根方面へ続く。右側が小田原駅方面。
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歩道橋の上から国道1号を眺める。駅に近い側の左手方向は高層マンションが目立つ一方で右手方向は古ぼけた商店が目立つ。
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小田原市民会館前交差点から南下する。道中には戦前建築と思われる古い商店が残る。地味にレトロだがどの店も閉まったまま。
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モロに看板建築の特徴丸出しな「神保ラジオ店」の建物。こうした看板建築も店主の引退が相次ぐとともに街から姿を消しつつある。
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それはいいが、小田原市のゴミ置き場の看板がどこかおかしい。
「もせるごみ」って何だ?!とついついツッコミを入れたくなる。しかも自信たっぷりに文字まで飛び出してるし…「もやせる」「もえる」とは呼ぶが小田原では「もせる」はごく普通に使うそうだ。
他にも「燃せる」の言い回しを使う地域が結構あちこちに残っているというのだ。重箱の隅をつつくような話ですけどね。
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さらに小田原城三の丸に続く「新道」なる路地が国道1号線の一本内側に続いている。古いうなぎ屋など商店がちらほら並ぶが基本的に住宅地。ちなみにこの反対側は「宮小路」という小田原オールドタウンにおける夜の街だ。そちらは後でじっくり探索する。
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連れ込み旅館の成れの果てか?と思わせるような宿が、人通りの少ない道にぽつんと残っている。
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「新道」は文化14(1817)年の小田原大火の時に逃げ道がなかった事で多数の死人が出た事をきっかけに作られた道、道端の石碑にはそう書かれている。やけに道幅が広いので最初は遊郭跡か?なんて思ったのだが、ここは全く違う。
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ここにも殆ど廃墟と化した商店の跡が痛々しく残る。もはや朽ちるしかないといったテンションの低さである。あまりこの先も見るものがないので、来た道を引き返した。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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