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板橋区大谷口上町・日大病院裏手にあった谷底バラック村

板橋の土地は武蔵野台地の北端にあたり、急斜面や「谷戸」と呼ばれる窪地が多く残っている。台地が侵食されて出来た地形で、窪地の底は当然水はけも悪く、住宅を建てるには適さない。普通ならば家を建てる事はしなかったというが、戦後の非常時における住宅不足で窪地にバラック住宅を建てる行為が続き、そういった不良住宅が平成の世にもきっかり残ってしまっているという。これは東京のスラム街における独特の特徴だ。

板橋区の大山エリア、大谷口に大規模な谷戸があり、そこには凄まじい状態のバラック住宅群があった。

東武東上線大山駅からハッピーロード商店街を通り過ぎ、川越街道を渡った西側に行く。見たところ普通の住宅街だが、そんな場所の一角に少し気になる物件があった。

そこの裏手に回ると、案の定ハングルで言葉が書かれている鉄柵があった。「東京朝鮮第三初級学校」の建物だった。東京都内にある九校の朝鮮初級学校の一つである。

学校としては少し無理がある小さな敷地に間に合わせるように、向かいの住宅地の一角にわずかな広さのグラウンドが確保されている。

朝鮮学校の西側一帯、地名で言うところの板橋区大谷口上町は不自然に起伏の激しい地形が目立つ。この界隈に日大医学部のキャンパスがあり、巨大な日大板橋病院の建物があることで知られているが、病院は建物の老朽化もあって移転の話が持ち上がっている。

大谷口と言えばつい近年まで存在していた巨大な「水道タンク」こと大谷口給水塔が有名だった。これも老朽化で2006年の時点で解体されている。

この界隈も非常に古い住宅が多い。全身が蔦で覆われたレトロな緑化住宅が板橋第十小学校に隣接する路地に並んで建っている。

周辺は普通に綺麗な住宅街に整備されてしまっているものの、ここだけが取り残されたようになっている。そしてこの住宅の裏には焼肉屋がある。

かなり地味であるが、今でも僅かにコリアタウンの面影を残すかのようだ。

一方で綺麗なはずの新築戸建て住宅の中にも訳の分からんゴミ屋敷があるのも大谷口界隈の面白い所。綺麗な家がもったいないですね。いやー、酷い。

街のシンボルマークだった「水道タンク」も取り壊され、道路整備の影響でメインストリートには風情も糞も無くなった現在も地区に残る銭湯「第二富士の湯」。やはり地味ではあるが昔ながらの生活が僅かに残っているようだ。

ファミリーマートの手前の道を右折した先の三叉路から、急激な下り坂が左手に伸びている。ここが大谷口上町の「谷戸」の始点である。終戦後に谷底の溜池を埋め立てられて作ったバラック村である。

昔はこの場所からバラック小屋がグランドキャニオンよろしく広がっている香ばしい光景が拝めたと言うが、なんと無残にも建物の殆どが水道タンク同様取り壊されていたのだった。

大谷口上町の谷戸は日大キャンパスの裏手に掛けて蛇行するように下っている。その両側にびっしりとバラック家屋が密集していたのだが、ここ数年の改良事業でことごとく建物は取り払われてしまった。

バラック村がほぼ現存していた頃の航空写真を見ると、家屋と家屋の間に殆ど隙間が無く街路らしきものも存在しないことが分かる。見るからに凄まじいスラム状態だったようだが、現在はこの谷底に綺麗な道路が敷かれ、何事もなかったかのようにクリアランスされてしまっている。

まだ一部の住宅は取り壊し工事の最中で、建物が残っている場所がある。断崖絶壁にへばりつく不良住宅群の土台を眺めながら、この東京に残る貴重な住宅遺産がまた一つ消えてしまうのかと寂しい気持ちになる。

よく見るとまだ建物自体そんなに古くない家屋の存在もある。地域の世帯数も多く、立ち退き問題であれこれきっと揉めたに違いない。

谷底から見上げる不良住宅の廃墟と、「解体工事を行っています」と書かれた無情の看板。「板橋の谷戸」という特殊な地形がもたらす、東京独特のスラム地帯の最後の姿だ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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