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結核医療と病院の街「清瀬」 (3) 清瀬病院街<後編>

清瀬駅南口から西武線の線路沿いに約1キロ程歩いた先に、結核療養所を中心に病院が立ち並ぶ清瀬の「病院街」が姿を表す。

複十字病院を過ぎてからも、次々と医療関係施設の敷地が続く病院街は総じて雑木林に埋れていて、通り沿いからは敷地や建物の様子を見る事ができない。廃墟となった施設も多く残っていて、雰囲気が異様だ。



どう見ても廃墟になってしまっている雑木林の入口に看板が掛かっている。
「国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院」
国立療養所東京病院は清瀬の病院街で一番最初に出来た結核療養所「東京府立清瀬病院」の施設を受け継ぐ医療機関である。昭和6年に設立された当時は農家と雑木林以外何もなかったような場所だ。

この附属リハビリテーション学院が日本最初の作業療法士専門養成施設発祥の地であるという記念碑が、廃墟の入口にそっと置かれている。そこには昭和38年に設立されたとあるが、その前年に、前身の「国立東京療養所」「国立療養所清瀬病院(東京府立清瀬病院から改称)」の2つの結核療養所が統合されて現在に至っている。
ここももちろん結核専門ではなく、総合病院として機能している。

2008年に附属リハビリテーション学院が閉鎖されて、それ以来内部は立入禁止になっている模様。

さらに「東京都立清瀬小児病院」の敷地が現れる。ここも現在は小児医療の総合施設として機能しているものの、昭和23年の発足当時は「東京都立清瀬小児結核保養所」という名称で、やはり小児結核患者の療養施設として建てられたものである。

清瀬小児病院の向かいには「救世軍清瀬病院」。キリスト教系の新興宗教団体である救世軍が運営する総合病院である。前身は「救世軍清心療養園」で、やはり結核療養所である。

救世軍清瀬病院を過ぎると、国立療養所東京病院の敷地に差し掛かる。数ある結核療養所の中心的存在だけあって敷地が広く、表通りから建物が見えない程に雑木林が生い茂っている。

隣接する三階建ての病院官舎は老朽化が目立つ。緑地に囲まれた自然豊かな場所だが、場所の空気が重苦しくさせるのだろうか、雰囲気がどことなく暗い。
他にも清瀬の病院街には看護師の養成を専門とする国立看護大学校のキャンパスもあり、ひたすら医療の街に徹している事が分かる。

病院街の雑木林を抜けた先にも医療施設・介護施設がこれでもかと現れる。雑木林の中が国立療養所だらけだったのに対して、こちら側は民間の療養所だった施設が多い。それも目立つのがキリスト教系の医療法人ばかり。

医療法人施設の看板に釣られて路地を入っていくと「東京都清瀬園」の建物が現れる。ここは内部障害者更生施設であるが、昭和31年の開設当初は結核回復者の社会復帰施設として位置付けられていた。

さらに進むと、やはりキリスト教系の「ベトレヘムの園病院」と附属する養護老人ホームの敷地に辿り着く。

たまたま休日ともあって園内開放でイベントが行われていたので、敷地内に入った。
フリーマーケットや焼きそば等の屋台料理、ステージでは歌にダンス、といった典型的な地域イベントが繰り広げられていた。

ここも昭和8年に設立された歴史の長い医療施設であるが、現在は老人介護が主になっている模様で、園内のあちこちには車椅子の老人が職員に付き添われて日向ぼっこしている。

現在はただの空き地になっている歯学系の明海大学の土地も、以前は結核療養所の一つ「生光会清瀬療養所」として設立されたもので、後に歯学部附属明海大学病院生光診療所となったものの2002年に廃止されている。
付近には他にも信愛病院など民間医療施設が数多く点在している。まさに「病院街」と呼ぶに相応しい清瀬の街は、現在も地域医療の拠点として生き続けている。
参考記事
結核の街・清瀬を歩く。結核療養所のすべて[絵文録ことのは]


>国立ハンセン病療養所・多磨全生園編へ

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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