日本橋界隈 (4) 幻の浜町川とバラック群

馬喰横山の問屋街を抜けた先に古ぼけた一軒のビルがあった。

鞍掛橋交差点の前に「鞍掛会館ビル」という名の4階建ての商業ビルが建っていたが、老朽化で建て替え工事が行われていて、既に取り壊された後だ。
ここも例に漏れず問屋街の一部として機能していたが、もともとこのビルが建っている場所は「浜町川」という埋め立てられた川の上にある。現在で言うところの千代田区神田佐久間河岸の神田川から分岐して、中央区日本橋箱崎町の隅田川までを結ぶ川がかつて存在していたのだ。



鞍掛会館ビルには地下にまで問屋街があったようだ。今では中の様子を伺う事すらできない。

入居していた店舗も作業服やカバン屋などと、いかにも問屋街のそれらしい。店は建て替え工事のために退去した後であり、看板だけが残っている。

2010年8月末には12階建ての新しい鞍掛会館ビルが現れるようである。それにしても東京は都市の新陳代謝が激しい。一年単位で街がごっそり再開発で消されたりするのも当たり前の世界だ。

鞍掛橋交差点側からビルを見上げる。昭和38年に建設されたもので、確かにそれなりに年季が入っている。

ビルの壁に掛かっている色褪せた看板が昭和のセンスに満ちているが、既にこれらの姿を見る事ができない。もう取り壊されてしまったからだ。

かつて浜町川が流れていた道に沿って建物が並んでいる。戦前まで日本橋エリアには各所に掘割が築かれていたが、戦後の復興開発による残土処理のため次々と埋め立てられている。浜町川も戦後間もない昭和23年から25年までの時期に埋め立てられ、跡地にはバラックが立ち並ぶ光景が広がっていたという。
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鞍掛会館ビルの脇から浜町川の跡に沿って歩くと、いつの間にか区境を跨いで千代田区東神田に入る。
そこに「橋本会館」という長屋のようなビルが現れる。このビルの裏手がまさしく戦後のドサクサ、といった風情を今に残す不思議な空間になっているのだ。

橋本会館を表から見ると至って普通の店舗ビルでしかない。問屋街の一角にあるため、休日に訪れると例に漏れず閑散としている。

橋本会館の表通りは問屋街らしい姿であるが、裏側はもっぱら古い居酒屋の店舗兼住宅が立ち並び、独特の雰囲気を保っている。
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戦後の住宅不足から浜町川が埋め立てられた後にも数多くの不法占拠バラックが存在していたらしいが、ここもその名残りか。

プチ九龍城砦とも言える建て増ししまくりの居酒屋兼住宅群は既に廃墟と化しており、朽ちるがままに放置されている。そのうちこのビルも建て替えられるのだろうか。

崩壊寸前の建て増し部分はかつて住居だった名残りのバルコニーが錆び付いた骨組みのまま残っている。既に使われなくなって相当な年数が建っていると思われるが、この佇まいは都心の一等地とは思えない。

現金問屋街をそのまま抜けると神田岩本町、秋葉原が近い。浜町川沿いの埋め立て用地は神田佐久間河岸で神田川と合流する。

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