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漁村の名残り「浦安」 (2) 浦安市猫実

再び東西線浦安駅を訪れた。
ここは東京の中心・大手町から快速電車でたったの15分で行ける「千葉県」である。

昭和44(1969)年に東西線が東陽町から西船橋までの区間で開業するまではまさしく陸の孤島でしかなかった浦安の街であるが、それから40年が経過して街の風景は漁村からベッドタウンへ激変している。



毎日大勢の通勤客で溢れ返るこじんまりとした駅前ロータリーには、東西線開業時から置かれている駅前広場完成記念碑がある。当時はまだ東葛飾郡浦安町で、昭和56(1981)年4月1日に市制施行に至っている。
東西線開通時の人口はわずか2万人足らずだったのが、その後の東京ディズニーランドの開業や京葉線開通、埋立地の造成による市域の拡大などで、現在では人口16万人に増加している。首都圏でもこれだけ極端な発展の仕方をしている自治体は浦安くらいしかない。

浦安駅周辺には西友がある他、繁華街としては隣の葛西よりも賑わっている印象があるが、一方で駅前にちらほらホームレスの姿も見かける。

ホームレスにとってよほど居心地がいいのか知らぬが、浦安駅前を毎回訪れる度に必ず彼らが居るので、どうしたことかと思う。
やはりここが東京都ではなく千葉県だからなのか、放置自転車対策や駅前の喫煙所のテキトーさを見ても隣の葛西よりどこか緩い気がする。

駅構内各所にこうした注意書きが貼られている。居座り、たむろ、車座行為を禁止します。浦安駅とホームレスの争いは思った以上に激しいようだ。
駅前から東側一帯は割と普通の住宅地が広がっていてさほど面白みに欠けるが、昔からの漁村の名残りがそのまま残る駅南側一帯を中心に散策していこうと思う。

浦安駅から南へ徒歩5分程度にある猫実三・四丁目、堀江三・四丁目にあたる場所がかつての浦安の街における中心地。基本的に整然とした街路が目立つ街だが、この旧市街地に来ると途端に風景が昔のままのものへと変わる。
浦安の地元民が使う街の呼び方として「元町」「中町」「新町」というものがある。住所で猫実・北栄・堀江・当代島・富士見にあたる部分が「元町」、その後の埋め立てで出来たエリアは「中町」「新町」で、それぞれ住民が大まかに区別されている。

駅方面からまっすぐ歩くと辿り着く猫実四丁目の旧市街地入口には古い庚申塔が建っている。この付近から寂れた昭和の商店街が残る独特の風景が続く。

この界隈に限っては、曲がりくねった路地に昔の漁村時代から続く古民家がてんてんばらばらに建っている。雰囲気は田舎で見かける漁村と全く変わりが無い。

猫実(ねこざね)という「猫」の入った地名も珍しいが、地名の由来に猫が関係している事はなく、浦安が昔から津波や洪水の被害を受けやすい地域であった事に由来する。
鎌倉時代に大津波で被災した村人が地元の古社である豊受神社近くに堤防を築き、大きな松の木を植えて、今後は波が松の根を越さないようにと願った事から「根越さね」が転じて猫実になったという。
目の前には聖教新聞もあるし、そうか、そうかと納得。

しかし伊達に地名に「猫」が付いている訳じゃねえぞとばかりに路地裏や街の至る所で目にする猫の姿。猫実の地名は猫が実に多いという意味にも受け取れる。

昔から漁村の猫は人馴れしたものだが、人間の姿を見かけても全く怖がる素振りを見せないのが猫実に住んでいる猫達である。

古い街で開発の手が及ぶ事はなく、いつまでも細い路地が残るこの界隈はまさしく猫の楽園のようにも見える。今は通勤サラリーマンの街になってしまった浦安の中でもここだけは流れている時間軸がズレたままになっている。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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