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漁村の名残り「浦安」 (4) 青べか物語

浦安の旧市街地はかつて「べか船」と呼ばれる海苔採りに使われる小型船が数多く停泊していた境川を中心とする猫実・堀江付近にあり、境川に沿ってフラワー通りを抜けて旧江戸川に至る道を歩くと、未だに漁港の名残りを留める風景が随所に見られる。

周辺の市街化やそれに伴なう漁場の環境汚染などによって、漁村としてではなくベッドタウンとして街作りの舵を大きく切ることになった浦安の街だが、東西線開通後の昭和46(1971)年に漁業権を完全に放棄してからもなお、境川の川べりには小型船が係留されているのが見られる。それは釣り船屋だったり、自由漁業による個人所有の舟である。



フラワー通り入口の清瀧神社近く、境川に架かる新橋のたもとに、かつての旧浦安町役場の跡を示す記念碑が残っている。コアな漁師町だったので、街の中心も漁とともにあったという証だ。
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かつての街の中心線である境川はフラワー通りや猫実四丁目方面に続いている。古い民家も多く残るが、この辺にも新しいマンションもじわじわと増えてきている。

境川に沿って続く堤防と船着き場が今でも漁村の名残りを強く残している。これが東京の中心から電車でわずか15分圏内で見られる風景とは思えない。

浦安が市街化するにあたって、昔からの住民が住環境の変化を懸念して、行政が元の市街地を極力開発の手を加えずに街の発展を考えた結果がかつての遠浅の干潟を埋め立てて住宅地となった現在の姿である。

今や、浦安と言えばディズニーにマリナーゼといったイメージが先行して、漁村だった事すら忘れ去られている。この漁村時代のままの旧市街地の極端な変化の無さは特筆すべきものだ。

漁師町だった名残りで、この境川に面した旧市街地周辺や、旧江戸川対岸の東葛西や妙見島などに船宿が今でも数多く点在している。

東京に程近いながらも長年陸の孤島で独自の暮らしが続いていたという特殊性から、浦安が文学作品や映画の舞台となる事もしばしばあった。特に浦安が漁村だった時代の街の様子を描いた山本周五郎の「青べか物語」や、「男はつらいよ望郷篇」でフーテンの寅さんが小舟で居眠りをしていたらいつのまにか流れ付いて辿り着いた浦安で生活をするエピソードは有名である。

係留されている船が半ば廃船となっているものも混じっていて、下手すれば船の墓場のようにも見えなくもないが、未だに漁師仕事でもしているのだろうかという、岸壁沿いに置かれた籠と道具の数々が目に付く。

地元で代々漁師を続けていた根っからの浦安住民は江戸言葉に加えて独特の言い回しが特徴的な「浦安弁」をしゃべると言われている。
漁師町だった頃の街並みが再現され、なおかつネイティブな浦安弁が聞けるという「浦安市郷土博物館」が市役所の近くにあるので、機会があれば訪れてみたい。
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境川は水門を隔ててそのまま旧江戸川へと流れ込む。昔はここから漁師が仕事に出ていたのである。今からではとても想像できない日常生活だが、つい最近まで陸の孤島だったという地理的な条件がもたらす浦安特有の文化に興味が尽きない。

こんな風景の脇を地下鉄東西線の鉄橋が横切っている。この橋の上を毎日通勤客が大勢電車で通り抜ける訳であるが、街の歴史を知るきっかけもなくベッドタウン千葉都民のままで居るのは、ちともったいなくないか?と思うのであった。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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