法華経寺門前町「下総中山」 (4) 法華経寺境内

千葉の鎌倉などと言われていたという市川市の中山法華経寺周辺の街並み。そういえば猫と戯れてきただけで肝心の法華経寺境内をすっぽかしていた。

境内の中心にある大祖師堂には現在も地元はともかく全国の日蓮宗宗徒が参拝する。浅草寺や本門寺といった都内の寺とは違って人通りも少なく落ち着いているのが特徴。
毎年の節分の日には「節分追儺式(豆まき)」が行われ、この祖師堂の脇に特設舞台が組まれて芸能人や相撲力士が舞台の上から平民一同に豆やお菓子をばら撒くのである。豆まきというよりはジジババによる駄菓子争奪戦。是非見てみたいと思うのだがたいがい平日の昼間なのでかなり難しい。



水掛け浄行菩薩の周りには大量の供え物と千羽鶴が置かれていて参拝者の信仰心の深さを見る事ができる。

参道正面から見える真っ赤な五重塔は江戸時代初期元和8(1622)年に建造された国の重要文化財。江戸時代以前に建てられた五重塔は関東では中山法華経寺の他に池上本門寺、上野公園内の旧寛永寺、日光東照宮の四基しかなく、非常に貴重な存在なのだ。

五重塔の前にはなぜか台湾の蒋介石総統の胸像も置かれている。田中角栄内閣による日中国交再開に向けて拍車が掛かった1970年代に当時の住職が日台友好を願って置かれたものと言われている。
その願いも虚しく、日本は中華人民共和国との国交樹立と引き換えに台湾とは現在も断交状態となっている。蒋介石総統の胸像も参拝者の殆どは意味を知らないでいるようだ。

境内には建立されて300年にも及ぶ中山大仏の姿もある。

日蓮聖人かと思ったら「日常聖人」だった。中山法華経寺の開祖で、日蓮聖人の弟子に当たる人物だそうだ。

法華経寺の境内はまだまだ続く。お堂の渡り廊下にあたる宝殿門を潜って奥に進んで行く。

宝殿門を潜り来た方向に振り返ると、その中央には鐘が釣り下げられている。

その突き当たりにはドーム状の重厚な聖教殿が姿を現す。国宝指定されている日蓮直筆の「立正安国論」をはじめ、日蓮の遺品の数々を所蔵する為に建てられた宝物庫である。昭和6(1931)年に当時の最高技術で作られたもので、築地本願寺を手がけた建築家伊東忠太の設計。
まるで天皇陵にでも来たかのような厳かな空気に包まれている。日本の仏教において重要な存在である中山法華経寺の真髄を見た気分だ。

日蓮は鎌倉時代の僧で、現在の千葉県鴨川市、安房国の小湊で生まれた。
日蓮宗は現在の日本で一大勢力となっている仏教系の新宗教の元となった宗派で、日蓮が書き記した立正安国論も浄土宗などの他宗を邪法とし、放置すれば国が滅びるなどと主張していたものだ。
日蓮の教えには元から排他性と攻撃性があったのかと考えると、なるほど、三色旗軍団の性質も納得が行く。しかしいつの時代にも国難が目の前にあった時に人々の心は強い独善的な正義を求めるもの。カルトと堕するか否かはその時代ごとの宗教家の心一つに掛かっているようにも思える。

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