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東京から一番近い無人島「猿島」 (2)

東京から日帰りで堪能できる無人島探検、そう聞いて横須賀沖の猿島を訪れた訳だが、待ち受けていたのは要塞の遺構の上に築かれたこれ見よがしに観光客向けなゆとり仕様の散策路が風情を台なしにしてしまっている風景だった。

とはいえ、明治時代の要塞が殆ど壊されずにここまで残っているのは大したものだ。散策路の外側は歩けない上に煉瓦積みの倉庫の内側は全て金網で塞がっていて、島への来訪者はあくまで外側から遺構を眺めるだけに留められている。



深い切り通しの上には樹木が生い茂っていて、空の上からでは普通の島にしか見えない事だろう。外敵に要塞の島と見抜かれぬよう、その設備を隠す為にこのような造りになっているのだ。

要塞の島として徹底的に作られたものの、実戦で使われる事は一度もなかったという。結局軍事的には何の役にも立たなかった訳で、横須賀沖から富津岬にかけて並ぶ第一・第二・第三海堡などと辿ってきた運命は同じである。

切り通しの各所に作られた煉瓦積みの弾薬庫。煉瓦の積み方が独特なのが見て取れる。真っ黒な鉄柵で遮られて、庫内に入る事はできない。

長年の経過で島の至る所が自然に還るかのごとく緑に呑まれている。

落ち葉が積み重なって階段の体を成していないかのような石段の上は完全に緑に覆われている。

さらに木造の散策路は上に向かって伸びている。ご丁寧に綺麗な階段が整備されているので、無人島で迷う恐れもない。まさにゆとり仕様。

階段を登った先にはちょっとした広場が整備されていた。人が居たとしても、いかにも観光で来ました的な家族連れと犬連れしか居ない。

広場の奥には要塞時代の見張り台がそのままの姿で置かれている。老朽化が激しいのかわからんが立入禁止の看板とロープが建物への人の侵入を拒んでいる。

外側から見られる見張り台の内部。コンクリートの壁があるのみで別段見るべきものはない。

見張り台を後にしてさらに散策路を進む。
猿島という名前の島だが、別に猿が生息しているわけではない。鎌倉時代に、浦賀水道を挟んだ房総から日蓮が鎌倉に渡る途中で嵐に見舞われこの島に流れ着いた時に、白猿の導きがあって対岸の米ヶ浜に渡れたという伝説に因んでいる。
対岸の南房総は日蓮の生誕地で、日蓮に纏わる寺院や伝説が数多い。

その先にはさらに別の切り通しが現れる。やはり同様に弾薬庫が作られている。

突き当たりの苔むした壁にはいつ書かれたか分からない落書きがびっしりと残っている。他愛もないガキの落書きにも見えるが、それが幾層にも重なると羅列された落書きの文字も何かの呪文のように見えなくもない。

猿島が観光資源として横須賀市に開発される前に、勝手に船で上陸した昔のDQNどもが残した爪痕なのだろう。刻まれた落書きにある日付がめちゃめちゃ古い。

本当に小さな島であるが、自然の力を思い知らされる。

この先の小さなトンネルを抜けると、島の最奥部に辿り着く。日蓮がこの島に漂着した時に避難していたという日蓮洞窟などが見られる。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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