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東京から一番近い無人島「猿島」 (3)

東京湾の海の守りを固めるべく明治政府の主導で次々と作られた海上要塞の一つである猿島の軍事遺跡。

およそ1世紀が経過して、それらの遺構の一つ一つが何を目的に作られどう使われたのか、素人目にはさっぱりわからないが、急峻な島の各所に切り通しやトンネルを掘って弾薬庫や砲台などが置かれているのを目の当たりにして、想像を巡らせるのも楽しい。



一見、通路にも使われていたトンネルのようだが、途中から部屋のような広いスペースとなっていてちょっとした居住空間にも見えなくもない。

トンネルの壁にはどこぞのバカップルが愛の記念カキコ。2001年9月15日。アメリカ同時多発テロの4日後か。その頃は散策路の整備もされておらず、心ないDQNな来訪者によって荒らされた痕跡が各所に残っていたそうだ。

眼前に東京湾が見える展望台のような一角には高射砲陣地跡がくっきりと残されているのが見える。結局これらの設備も無用の長物となったまま生涯を閉じている。

遠目には東京湾を挟んで、おそらく千葉県方面の対岸の街並みが見渡せる。漁船の他、タンカーなどの大型船舶も多く見かける。浦賀水道は船の行き来が激しい。

戦時中は軍事施設を中心に徹底した絨毯爆撃が繰り広げられ、要塞の島である猿島にも爆弾が多数落とされたようだ。島内には不発弾を発見したら管理事務所に連絡する旨を記された物々しい注意書きも置かれている。

さらに奥に伸びる切り通しがあったが、残念ながら立入禁止の立て札の向こう側となっている。

そこから先は急激な下り階段が続いている。島の外縁部、日蓮が流れ着いて避難をしたという洞窟へと続く道だ。

長い下り階段を経て辿り着いた日蓮洞窟も危険が伴なうからだという理由で内部への立入りが禁止されていて拍子抜けだった。

外部から見える範囲、洞窟の奥には何かが祀られている。
日蓮が避難していたという言い伝えだけに留まらず、古代人の居住跡としても知られていて、中から弥生式土器やら人骨なども見つかったという、曰く付きの洞窟だが、今となっては外から見るだけ。

日蓮洞窟の前は、見事な断崖絶壁の下に磯が広がっている。崖下の窪んだスペースが半洞窟となっていて、中を見ると何者かが焚き火をした跡が残っている。

海を見ると、そこには磯釣りを楽しんでいるオッサンの姿が。猿島では観光客の他にも、磯釣り目的でやってくる客の姿もある。しかし釣りに夢中になるあまり満潮に見舞われて、帰るのが大変そうだったが。
ちなみに個人のプレジャーボートなどによる猿島への上陸は禁止されている上、夕方5時の最終便をうっかり乗り過ごすと、島入口にある緊急ボタンで業者を呼び出して高額な貸切チャーター便を使って帰らされる羽目になる。注意だ。
これ以上見るものがなかったので、再び長い階段を上り、島を後にするため来た道を戻る事にした。

猿島入口に戻る、長く大きなトンネルがある。帰り道はこちらを通る事にした。まるごと煉瓦積みのトンネルで、この煉瓦の積み方もフランス積み(正しくはフランドル積み)という、日本では珍しい積み方が用いられているそうだ。
いつからか「愛のトンネル」だなんて呼ばれるようになって、このトンネルをくぐったカップルは幸せになれるだの、なんともスイーツゆとり仕様な言い伝えが広まっている。

トンネルの中に入ると、中で外人が英語で何か騒いでいる。さすが基地の街だけあって、横須賀基地所属の米兵のレジャースポットとしても人気があるようだ。
よく見えないが、トンネルの途中にも小部屋がある。実は内部が2階建てになっているらしい。

隙間からフラッシュを焚いて奥の様子を見てみると、人一人分が入れそうな隙間に、さらに横手から小窓が3つ並んでいるのが見えた。やはりここも、ことごとく封鎖されて中の様子を見る事はかなわない。
というわけで、最後まで煮え切らぬ無人島探検だったが、東京近郊で一般人も探索可能な軍事遺跡という事であればこうなってしまうのも致し方ないのかも知れない。
そういえば長崎の軍艦島の事が頭をよぎったが、あの島も観光資源として整備が進められている。ゆくゆくは猿島のようなゆとり仕様の観光スポットの一つになるかもな。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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