JR本八幡駅周辺を見るとパチンコ屋だらけだったりディスカウントスーパーだらけだったりで、いかにも貧民街だと思わせる要素が満載だった訳だが、京成八幡駅の北側に出ると雰囲気は一変し、江戸時代の防風林の名残りと言われるクロマツ林がちらほら残る比較的上品な一戸建てが並ぶ閑静な住宅街へと変わる。
京成八幡駅北側に出る。こちら側はJRの駅前のような発展の仕方をしていない。ギラギラしたパチンコ屋も風俗店もなく落ち着いた佇まいを見せるが、悪く言えば平凡な古い住宅地でしかない。
京成八幡駅から少し歩くと、葛飾八幡宮という大きな神社がある。創建されて1100年以上にもなる古社で、京都の石清水八幡宮を勧請して建立されたもの。
歴史のある神社だが、地元民がちらほら参拝に訪れる程度で、終始物静かな雰囲気に包まれた場所だ。葛飾八幡宮だけに、言わずもがな、本八幡の地名の元にもなっている。
神社参道の両脇には市川市役所八幡分庁舎と市川市市民会館があって、むしろ神社の参拝者よりもそっちに出向く人の姿が多い。
参道を突き当たると葛飾八幡宮の拝殿に至る。市川市と言えばベッドタウンという印象が強いが、中山法華経寺など古い神社や寺が多く「千葉の鎌倉」と呼ばれるくらいの場所であると言う事は地元民も知らなかったりする。
再び京成八幡駅前に戻り、駅北側の商店街を進む。踏切の真ん前に戦前建築と思われる超オンボロ店舗の遺構が残っていて、なかなか壮絶。昔は駅前売店のような感じだったかも知れないが現在はタバコの自販機と喫煙所が残されているだけ。
京成八幡駅前から踏切を跨いだ北側は商美会という商店街になっているが、古い商店が多くひたすら地味。
本八幡界隈でもう一つ有名な事と言えば、作家・永井荷風が終生を過ごした場所という事である。この近所に荷風の住んでいた家や毎日通いつめていた食堂などが今でも残っているのだ。
商店街に掲げられたのぼりには晩年の永井荷風を模したイラストが書かれていて誰の目にも付くようになっているが、今となっては文学マニアか散歩マニアくらいしか反応しなさそう。既に没後50年も経っているし。
死去の前日まで駅前のこの商店街をふらふら散歩していた事から「荷風ノ散歩道」などと記されている。
荷風の家は商店街の脇を入った住宅地の一画に残っているが、養子が敷地を相続しており現在も暮らしている。
また、京成八幡駅前には大黒家という老舗の食堂がある。ここが晩年の永井荷風が普段使いにしていた食堂で、死ぬ前日までカツ丼と熱燗を飲み食いしていたという話はよく知られている。
荷風の死後50年で、大黒家の建物もやけに立派に変わってしまっている。
店の入口付近のショーウインドウにも永井荷風の事が記されているので非常に分かりやすい。本八幡を訪れた時にはここのカツ丼を一度食ってみようかと思うも、毎回腹が減っていないので、結局今まで一度も入っていない。