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横浜ド下町ゾーン「天王町」 (5) 天王町日用品市場<後編>

横浜市保土ケ谷区天王町は、戦前に従業員7000人を数える富士紡績の巨大紡績工場があった事もあり、古くから栄えていた街だったそうだが、天王町日用品市場はそんな天王町の栄枯盛衰の一部始終を見守るかのように街の歴史の重みを抱えたまま崩壊寸前のバラック市場の姿を今も留めている。

外側から見る事のできない市場内部の様子は、恐らく昔のまま変わっていないのだろう。生鮮食品店がひしめいていた通路はあまりに狭く、そして至る所荒れ放題になっていた。



市場に出入り出来る2ヶ所の入口はシャッターが閉じられたままになっていて、この市場内部は完全に袋小路になっている。2階建ての市場棟が両側にそびえているので、中に入ると完全にタイムスリップ状態になってしまう。

閉じられたシャッターは二度と開く事はない。
この市場が開かれたのも戦後になってからの話で、空襲によって富士紡績の工場もろとも壊滅状態になった土地の大半が米軍に接収され、その後徐々に接収解除されてようやくバラック市場や住宅を建てられるようになったのは、終戦から5年目の昭和25(1950)年の事だったそうだ。

日用品市場もきっとその頃に建造された復興市場の一つだったのだろうと思われる。戦後になって天王町界隈は保土谷化学工業や日本硝子の瓶工場をはじめ工場街としても再興するが、工場の移転や閉鎖などで衰退、街もじわじわ寂れ始め、今のような状態になったらしい。

工場街のど真ん中の下町市場、そんな街並みが生々しく廃墟となって残っている訳である。日用品市場の中がいつ頃から廃墟化しだしたのかは定かではないが、もう何年も放置され続けているのは確かなようで、とにかく荒れ方が只事ではない。それに取り壊して再開発するような見込みもない。

もとは肉屋だったと思われる店舗は、ショーケースがそのままの状態で朽ち果ててしまっていた。土台は地面に固定されているらしく、清潔感を出す為だろうか浴場と同じようなタイルが敷き詰められている。

ブッ潰れたショーケースの向こうには店舗の中が丸見えになっている。湯沸かし器が壁に掛かっている他、精肉店に必ず置かれているミートスライサーも2台程そのまま放置されているのが見える。

別の店に置かれたままのショーケースには和菓子類と思われる製品が箱ごと残っている。箱をよく見ると「桔梗信玄餅」と書かれているではないか。店主は山梨県出身だったのだろうか。今となっては謎である。

廃墟市場は突き当たりを左に折れて終了する。かなりの密集具合だ。市場が出来た当初は米軍の接収解除も部分的だったために狭い土地で頑張ろうとした名残りなのであろうか。市場が現役だったらさぞかし凄まじい光景だったであろう。

奥の店舗も何屋か既に判別不能な状態になってしまっている。背後の壁は老朽化のために自然崩落してしまったのだろうか、大きな穴が開いていた。

店の中には据付タイプの業務用冷蔵庫らしきものが置かれているので、ここもやはり生鮮食品系の店舗だったはずだ。相変わらず裏の壁はまるごと崩壊している。

こうやって一通り見てみると殆どの店が陳列棚や家財道具をそのまんま放ったらかしにして潰れてしまっている事に気が付く。天王町日用品市場はいつどのように生まれいつ寿命を迎えたのだろうか、住民ではない我々には知る由もない。
というわけで、天王町界隈に詳しい方からの情報をお待ちしております。

閉ざされたままのシャッターからは市場の外に出られない。また先程の抜け道を跨いでコインランドリーの前まで戻る必要がある。
この近くには、天王町の寂れっぷりが信じられない位に繁盛しまくりの「ハマのアメ横」こと洪福寺松原商店街がある。天王町界隈の買い物客もみんな自然にそっちに流れているのかも知れないが、あまりに対照的な光景が見られるので、そっちも訪れる事にしよう。
>洪福寺松原商店街編へ

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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