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横浜赤線地帯 永楽町・真金町「永真遊郭」跡 (1)

横浜市南区、地下鉄阪東橋駅が最寄りのド下町商店街「横浜橋通商店街」は連日貧民相手に安売り大戦争勃発中のエネルギッシュでヤバイ商店街だが、そこから外れた永楽町・真金町界隈は「永真遊郭」という元赤線地帯だった。

この永真遊郭は横浜における遊郭の歴史に密接に絡んでいる。それは開国して間もない幕末の安政6(1859)年に現在の横浜公園がある場所に開業した港崎(みよざき)遊郭に遡る。
港崎遊郭は慶応3(1867)年の豚屋火事で焼失、後に吉田新田(現在の伊勢佐木町2丁目辺り)に移転するも明治4(1871)年にまたも焼失、翌明治5(1872)年に高島町遊郭として三度目の移転をしたが、明治13(1880)年に三度火災で焼失、その後この土地に移転して「永真遊郭」となり、昭和33(1958)年の赤線廃止まで歴史を刻み続けていたのだ。



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永楽町・真金町の地図を見ると、今でもこの土地だけがきちんとした碁盤目状になっている事がよく分かる。

永真遊郭があった永楽町・真金町を今訪れても、マンションと怪しいホテルと怪しい住民が多いと思う以外に特に名残りは見られず、ちょっと寂しい。
だが、横浜橋通商店街に隣接する金刀比羅大鷲神社は、それ自体が永真遊郭の痕跡を残す確たる物証なのだ。

この金刀比羅大鷲神社は、永真遊郭が四度の移転を行うまでの港崎遊郭があった時代から遊郭と共に街を見守ってきた。
元は港崎遊郭の岩亀楼主人、岩槻屋佐吉が讃岐の金比羅大権現を勧請し祀った金刀比羅神社で、高島町に移転した際、吉原遊郭に倣って浅草千束の鷲神社(もしくは本筋の足立区花畑の大鷲神社)と同じようにお酉様を勧請し、11月には酉の市も開かれるようになった。

一見して神社を見ても、まさか遊郭の主人が作った神社だとは露知らず。しかし神社の寄進者一覧が書かれた玉垣の中で一つだけ異様な姿を見せるどす黒く古い門柱にはっきり「遊郭」の二文字が彫られている。

ついでに玉垣の寄進者一覧を見ると、有名な落語家の桂歌丸氏の名前もある。
歌丸氏は生まれも育ちも現住所も、それにもらった嫁さんもずっと真金町という物凄く徹底した地元ラブだが、生まれた家が「富士楼」という一軒の置屋で、富士楼を経営する祖母によって、郭の中で育てられてきたと本人も語っている。

大鷲神社を中心として、その鳥居の正面から中央分離帯が置かれた幅広の道路が元遊郭の大通りの名残りを形作っている。しかし周りはマンションだらけで風情もクソもない。

マンション以外の土地の用途を見ると、コインパーキングか空き地ばかりである。昔はこうした土地に赤線建築が残っていたのかも知れない。

大鷲神社前に一軒だけ妓楼の跡か?と思わせるような2階建てのタバコ屋兼民家があるが、建築物に「らしさ」が垣間見えるのはせいぜいこんなものか。

大鷲神社の脇から路地裏に入るとすぐに横浜橋通商店街に抜けられる。

横浜の繁華街は伊勢佐木町から横浜駅周辺にシフトし、ますます隅っこに追いやられて忘れ去られる真金町のような街には昭和のまま時が止まったかのような街の風景が不思議と残っている。レトロな路地裏の美容室。

昔からやっていたと思われる商店の廃墟も多い。きっとこれらの店の数々も永真遊郭と共に生きていたのかも知れない。

赤線廃止後の真金町は横浜の中でも場末の下町と代わり、それこそ浅草の裏通りのようなうらびれた雰囲気の街並みに、ちょっと怖そうなお兄さんや変な外人がうろつくような街になっている。
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しかも正面のコインパーキングではのっけから小便を撒き散らすDQN男がいる始末。
真金町…そこは黄金町や寿町と双璧を成す横浜アンダーグラウンドゾーンである。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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