横浜赤線地帯 永楽町・真金町「永真遊郭」跡 (2)

横浜市南区真金町、そこは横浜における赤線地帯「永真遊郭」を抱え、また落語家の桂歌丸氏が生涯に渡って住んできた街でもある。幕末の港崎遊郭の時代から続いた遊郭の歴史は昭和33(1968)年の売防法施行により生涯を閉じた。

そんな歌丸氏を育んだ真金町は、なんだか寿町と見紛うような人種がうろつく、ちょっといかがわしげな街である。
ここには貧民大歓喜の激安商店街「よこはまばし」もあるし、パチンコ屋だっていっぱいある。そして中村川を挟んだ向かいの中村町はドヤ街である。最近では外国人もやたら増えてきてエスニック臭まで漂ってきた。



個人経営のこまごました居酒屋や飲食店が非常に多い永楽町・真金町だが、よくよく見ると韓国料理やタイ料理といった外国人系の店もちらほら見られる。元赤線や私娼窟などと、ちょっと評判の悪い地域というと家賃が安いからか例外なく外国人密集地になっているのが首都圏の特徴。

この界隈のアパートも韓国人がやたら多いらしく、ハングルで「服修繕」と書かれた業者の看板がアパートの隅に掲げられていたりもする。

横浜橋通商店街にもやたら韓国料理屋やキムチ屋が並んでいるが、永楽町・真金町にも例外なく多い。日本語があんまり通じなさそうな店がいっぱいある。
路地の合間に灯りを放つ「実家」という名前の店。海鮮料理系に強いメニューがあるニダ。

マンションやホテルに混じって忘れ去られたように放置されまくりの物件も多い。かつてはアパートだった建物なのか、池田荘と看板が建っているだけの廃屋。

さらに、リサイクルショップと思われる店舗の廃墟もいつの時代のものかよく分からない看板をそのままに、荒れるがままに佇んでいる。やはり元赤線というだけあって複雑な土地なのかも知れない。

そんな潰れたリサイクルショップの棚の上は七福神の福禄寿か寿老人のような髭を蓄えた老人の木像が、恨めしそうに笑みを浮かべてこちらを睨みつけていたのだ。

永真遊郭の名残りを辛うじて見せている中央分離帯付きの幅広道路は東西方向に二本、永楽町の南北方向に一本走っている。今ではマンション街が主流になっている訳だが、場所柄なのかゴミ捨てマナーがやたら悪く、カラスよけの網も掛けずに山積みにされている。

そんなゴミの山を見ていたら、斜向かいの角地に妓楼と見紛う重厚な料亭建築の家が建っているのが見えた。ただの個人宅になっているようだが、元はその手の料亭だったのだろうか。

かつての永真遊郭だった真金町・永楽町には、戦災で遊郭の建物も失われ殆ど当時の趣きを残していないが、一方で色街の系譜を残すラブホテルが何軒か建っている訳だ。

真金町や永楽町でこうしたホテルが乱立するその近所の曙町は国道沿いにソッチ系の店が密集している。やはり横浜で最も濃ゆい場所である事には違いないようだ。

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