寿町以前のドヤ街の系譜が今に残る街、港町横浜の暗部とも言える風景が連なる南区中村町界隈を引き続き歩く事にしよう。
中村川に架かる浦舟水道橋は遠くからも目立つ真っ赤なトラス橋である。首都高の高架に遮られてしまってはいるが、存在感が大きい。明治時代から使われている古い橋で、現在は歩道専用である。
浦舟水道橋の元は明治26(1893)年に下流の堀川に架かっていた「西之橋」だったそうで、その後2回の移設を経て現在に至っている。橋には詳しくないが、この橋は日本最古の現存する「ピン結合プラットトラス橋」らしい。
この浦舟水道橋を渡った先の中村町には、長年使われていないと思われる不気味なレトロ建築が建っている。まるで東大か早稲田の構内にでもありそうな重厚な学校風の建物が印象的。
この場所にこうした建物が放置されている理由を調べてみたが、きちんとした情報にありつけなかった。隣接して神奈川県警の機動隊が居る中村町分庁舎もあり、警察関係の建物なのか、そうでなくとも歴史的にも何らかの意味を持っている建物なのかも知れない。
廃墟同然の建物の玄関脇には、神奈川県立高等学校教職員組合と書かれたオンボロの看板がなぜかガムテープでペタっと貼りつけられていたのだ。どうやら公用地のようだが、かなり粗末な土地の使われ方をしている。
謎のレトロ建築を起点に、この公用地をぐるりと一周してみることにしよう。教職員組合の看板が立つ「校舎」の近くには「神奈川県埋蔵文化財センター」というのがある。
その先には根岸の山に向けて真っ直ぐに道が伸びている。くすんだドヤ街やアパートが多い中村町だが、その向こうはまるで別世界、米軍根岸住宅や富裕層の住むマンションが建っている。
案内看板に従って進むと確かに埋蔵文化財センターの建物があるにはあるが、ここも玄関が閉じられていて人がいるような気配がない。よく見ると「神奈川県立」の「立」の字が剥がされている。
道なりに歩いて行くと、その次には結核予防会神奈川県支部の建物も並んでいる。ドヤ街だった中村町にこうした施設があるという事も、やはり意味があるのだろう。敷地には複十字マークのついた検診車が多数駐車されている。
続いて裏に回り込むと、おそらく県警の関係と思われる寄宿舎?のような建物が見える。朝鮮学校並みにオンボロで見た目に凄まじい。
さらにこの南側は横浜市水道局の敷地が、西側には中村小学校と中村地区センターがあって、かなり広範囲に公用地で占められている事が分かる。
次に角を曲がるとかなり年季の入った神奈川県警察の武道場が見えてくる。この武道場を含めて、県警中村町分庁舎は昭和5(1930)年に警察学校として建設された建物がそのまま使われている。
県警中村町分庁舎には機動捜査隊本部、自動車警ら隊本部が入っている。もし寿町や横須賀あたりでプロ市民が暴れたらこの場所から機動隊員が出動となるわけだ。


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