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横浜南太田「乞食谷戸」の現在 (3) ニューママセンター

横浜市南区南太田界隈、今では寂れた下町となったドンドン商店街をどんどん突き進んで行く事にする。

道すがらにあったのはドンドン囲碁センター。頭の健康に碁。
定年退職後の暇そうな老人の皆さんがドンドン勝負に没頭している。



気がつけば道行く人も老人ばかりだ。時代の流れからはドンドン取り残されるかのようにドンドン商店街界隈はドンドン高齢化と老朽化が進んでいるように思えてならない。

ペットフードと住宅リフォームの看板を立派に構えているこちらの商店も、もう商売やる気ありませんとばかりに店の軒下に洗濯物を干している。

そしていよいよ空き地が現れだす。狭い谷戸地の間に続く商店街から、高台の住宅街が見える。
戦前までこの土地にあった「乞食谷戸」の概要を見ると、明治14(1881)年頃から貧困層が集まり始め、様々な社会的弱者が集住、特にハンセン病患者もいた事から、医師の増田勇が「増田癩治療所」を当地に設置し医療救済にあたる。
昭和2(1927)年制定の「不良住宅地区改良法」により改良住宅が建てられるようになり横浜の乞食谷戸は次第に消滅したとされる。

さらにドンドン進むと左手に廃墟同然の「ニューママセンター」が姿を現す。
かつてはスーパーマーケットをはじめ沢山の商店がひしめいていたのだろう。錆び付いたシャッターと剥がれ落ちた看板が哀愁を誘う。

建物の脇にニューママセンターの入口がある。営業している様子には見えない。専門店街で、八百屋や魚屋など個人経営の食料品店が並ぶ形態のショッピングセンターであろうと思われる。

物凄く時代錯誤な感じがたまらない看板。昭和40年代くらいのセンスだろうか。「南太田共同住宅佐々木興業ビル」という民間のビルで、市営住宅ではない。上層階がマンションになっていて、2階がテナント、1階が商店街。高度経済成長時代のノリだ。

2階部分もまるっきり廃墟同然の姿を晒していて寂しい事この上ない。唯一1階左端の「かもめパンニューママセンター店」だけが現役営業中だった。

ニューママセンターの前から道は二手に別れる。右手に入ると清水ヶ丘病院、保土ヶ谷駅方面。

交番の隣には廃屋と見紛うようなオンボロバラック民家がある。しかしこの界隈でこんな民家は少数派で、殆どが綺麗な一軒家だらけになってしまっている。

ここから先はドンドン商店街から外れる事になるが、相変わらず谷戸地に寂れた商店が続く微妙な光景がずっと続いている。

時計屋、そば屋と古いながらも結構な数の店が見られる。昔はそれなりに賑わっていたのかも知れない。

しばらく進むと、相鉄バスの庚台停留所と清水ヶ丘病院が現れる。庚台という地名を聞いて、乞食谷戸があったというかつての住所「南太田町字庚耕地」の名残りを感じる。この付近まで貧民窟が続いていたのだろうか。

メインストリートの脇に目をやると、住宅地のすぐさま向こうに崖地が現れる。これが乞食谷戸の名残りを唯一示す地形の特徴である。本当にフツーの住宅街でしかない。

丘の上に登るとさらに立派なマンションも現れる。四谷鮫河橋谷町のように寺町や孤児院が残っていたりと言う事もなく、昔の貧民窟の形跡はさっぱり無くなっているのが現状のようだ。我々は来た道を引き返す事にした。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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