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横浜貧民街の系譜・吉田新田鎮守日枝神社

南太田にあったと言われる関東最大級の貧民窟「乞食谷戸」の存在。今ではその名残りも無く寂れた商店街が残っているだけになっている。別の意味で悲壮感が漂っていてなんともいたたまれない気持ちにならなくもない。

今度は南太田駅前のドンドン商店街から平戸桜木道路を渡った反対側に抜け、大岡川を渡って吉野町方面に歩いて行く事にする。



平戸桜木道路に沿って歩くと京急の高架が頭上を掠める。
京急沿線は快特停車駅かそうでないかでかなり扱いの違いが激しい。上大岡や金沢文庫の駅前はそれなりに栄えているが、途中の通過駅は寂しいばかり。特に南太田駅は快特や特急電車の通過待ちで通勤時間帯には各駅停車が5分以上待たされる事はザラである。

乞食谷戸は姿を消したが、ゴミ集積所を漁るリアル乞食の姿は健在。聖地寿町に限らず横浜の大岡川と中村川に挟まれた旧市街地は今でもホームレスを多く見かける。

大岡川に跨る山王橋を渡ってさらに向こう側へ。山王橋に日枝町という地名を聞くと東京千代田の山王日枝神社を思い起こさせるが、橋の向こうにしっかりと日枝神社が建っている。

その日枝神社の手前に堰神社という小さな神社も見かけられる。日枝神社の末社。鬱蒼とした雑木林に囲まれて薄暗く陰気な印象がある。

続いて現れる日枝神社の鳥居。それほど大きな神社ではないが、横浜の日枝神社は伊勢佐木町一帯を干拓して出来上がった吉田新田の総鎮守で歴史が深い。通称「お三の宮」。

日枝神社の由来が書かれた案内板。吉田新田の開発者、初代吉田勘兵衛良信が江戸の山王権現を勧請して置かれたものとある。

狛犬は明治40(1907)年の日露戦争戦勝を祝って建立されたもので、他にも境内には江戸時代の手水鉢がそのまま残っている。

この日枝神社は吉田新田の西端に位置する訳だが、ちょうど大岡川と中村川の分岐点となっている。大岡川サイドにはかつての乞食谷戸や暗黒街黄金町、中村川サイドにはドヤ街中村町永真遊郭、さらに下流の寿町と、考えてみるとすこぶる業の深い土地だ。
吉田新田の開発や、その後の堀割川の開削などの土木工事に携わる下層貧民が古くから集まってきた。この界隈が横浜における貧民窟の歴史の源流であると言えるかも知れない。

神社の隣には「お三の宮日枝幼稚園」。
このお三の宮という名称も諸説あり「山王社」の「さんのうのみや」から来ている説など色々あるらしい。しかし一説には「おさん様の人柱伝説」という人身御供(生贄)の説も存在しており不気味さを誘う。

吉田新田の西の外れもなかなか貧乏臭いバラック建てが残っていたりして香ばしい。ここまで来ると横浜市営地下鉄吉野町駅が近くなる。

程なく首都高の高架が頭上を走る中村川を渡る事となる。その向こうは再び吉田新田の外、睦町へと続く。この睦町も中村町と同じく福祉関係の施設や独身向けボロアパートが集まり、いかにも貧民街といった風情が全開の場所だ。
参考ページ
お三の宮 日枝神社に纏わる歴史 「おさん様の人柱伝説」前編
お三の宮 日枝神社に纏わる歴史 「おさん様の人柱伝説」後編

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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