文京区本郷四丁目、菊坂通りを外れた低地の路地裏の一角に、樋口一葉が暮らしていた旧居跡がある。
我々のような路地裏フェチでなくとも一般的にかなり有名な場所なので、改めて説明するまでもないようだが、実際やってくると、石畳や狭い路地は当時のままと言うし、どことなく気品の高さまで垣間見せる。美しい路地裏とも言える風景。
路地の突き当たりに古民家に挟まれて階段が上に伸びている。ここが一葉の旧居跡とのこと。一葉の家族が菊坂に移り住んできたのも既に120年も前の話で、さすがに建物は現存していない。
この場所で母、妹とともに2年11ヶ月もの間生活を続けていたとの事。家計は苦しく、小説で身を立てると決意する傍らで内職に勤め、やりくりに困ると家財を近所の質屋に預けながら暮らしていた。
父と長男は貧困ゆえに早くに病死、一葉自身も24歳の時に肺結核で命を落としている。小説家としての事実上の創作期間はわずか1年少々でしかない。それがまさか五千円札の顔となってしまうなんて、本人もあの世で驚いているに違いない。
日本銀行券の顔になってしまった人物のゆかりの地という事で、この旧居跡を訪れる観光客の数が増えている。
家の周囲は普通に住民の生活空間になっているゆえ、見学は近隣住民の迷惑とならないように心がける旨の注意書きもある。風のように訪れ風のように去るべし。
路地の傍らには古井戸が置かれている。本郷界隈の井戸の多さには驚くのだが、これは樋口一葉が使っていた頃から現役のものらしい。残念ながら「飲用不可」だそうな。
路地の突き当たりの階段の上から眺めると、いかに家々がひしめき合っているのかがよく分かる。石畳の路地を谷底にして両側は高台である。
民家の裏手に回ると高台との間は法面に遮られていて完全に袋小路になっていた。
人の家の裏庭のような状態で、立ち入るのがなんだか憚られるが、この路地裏にも何軒かの家の玄関が並んでいる。
この一角は恐らく戦前からずっと暮らしっぷりが変わっていないように思える。
その先も片側を崖に面して狭い路地に沿って民家の玄関口が連なる。入り組んだ路地には陽の光も当たらず、昼間でも空気が湿っていた。
路地裏を抜けるとその出入口には古い門があった。共同住宅の玄関であろうか。
そして目の前の道も鐙坂(あぶみざか)という坂である。
春日通りへ抜ける鐙坂を登るとその上の古民家もなかなかシブイ。傍らの看板にはこの家が言語学者金田一京助・春彦旧居跡であると書かれていた。学者や文人の暮らした家が多いというのも、さすが東大の近所だけのことはある。
坂の下から眺めるとこんな感じだ。
他の坂もそうなのだが、本郷界隈は勾配のきつい坂が結構多い。
鐙坂の下まで降りると菊水湯の前に出てくる。
本郷は全体的にお上品なエリアだし樋口一葉も有名なので、DEEP的にはこれといったオチも見当たらないが、数ある東京の路地裏風景でも「美しさ」では指折りの場所である。知らなければ一度は訪れてみよう。


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