東京駅にも程近い海辺の下町である、月島と佃島の界隈。
もんじゃ焼きの街としてよく知られている月島は土日ともなると観光客で賑わうが、大阪生まれの私としては隣接する佃島の存在が気がかりだった。
佃島という場所は江戸時代に徳川家康がかつて世話になったという摂津国佃村、つまり現在の大阪市西淀川区佃の漁民34人を招き移住させ、現地を開拓して出来上がった島である。1644年に島が出来上がってからは、大阪の住吉大社が分霊されこの地に創建された。
つまり佃島は360年前の大阪人が作った東京の下町ということだ。
その佃島への最寄りは東京メトロ有楽町線と都営大江戸線の月島駅。もんじゃ焼きを食いに行くなら西仲商店街だが、佃島に行くなら反対側を目指そう。
現在の地名は中央区佃。佃煮発祥の地が佃であるというのは有名であるが、それがどこにあるかあまり気に留められなかったりして。凄く下町エリアなのだが銀座から駅2つぶんしか離れていない。
道端にはご丁寧に散歩マップまで用意されているのでせっかくだから見て行こう。佃島と月島は陸続きになっていて島としては一つだ。
で、ちゃんと佃島のことが書かれている。
佃島の場所は中央区佃の中でも1丁目のごく一部分だけである。地図で見ると堀に囲まれた部分が見えるがそこでビンゴだ。
佃島に着いたらまずは住吉神社に参拝しよう。ここは言うまでもなく大阪の住吉大社の分社であり、江戸佃島の始まりからずっとこの場所に建立されている。
徳川家康と摂津佃村の漁民との関係が記されたエピソードはネット上に沢山転がっているので興味のある人は読んでみよう。
佃島のごく狭い区画の中に佃煮の店が点在している。
どの店も、歴史の重みを感じさせる作りをしている。
もうずっと佃煮やってます!という感じが伝わる。それも360年間。
佃煮の発祥は大阪民国ニダ…もとい、佃島の「元祖東京の大阪人」である。
結構、どの店も佃煮を買い求める客で繁盛しまくっている。
佃島渡船跡の碑。昔は東京駅の方面からこの島へ渡るのに近くに橋が掛かっていなかったため、渡船が行き来していた事を意味する。
昭和39年に佃大橋の完成によって渡船が廃止されたと。
昭和38年の地図(goo地図)を見ると確かに橋が掛かっていない。
佃島の堀を見ると今でも昔ながらに漁船が繋ぎ止められており、当時の姿を偲ばせている。釣り船の店まである。
しかしこの風景が東京駅やら有楽町から徒歩圏にあるということが驚きである。
堀の底の地中には住吉神社例大祭のために3年に一度だけ掘り起こされる六本の大幟の柱や抱が沈められている。「江戸時代に徳川幕府より建立を許された」と書かれているくらいだから、佃島の成り立ちに関わるくらいの町の宝なわけだ。
江戸から東京へ変わり、街並みも変わり続ける同じ都会の中でも、変わらない伝統を守り続ける地域と人々が存在しているということ。そこに住む人々が先祖を大阪に持つ生粋の江戸っ子、つまり「元祖東京の大阪人」なんだから意外だよね。
参考記事
全国盆踊り:佃島念仏踊の歴史
佃住吉講公式サイト