流鉄流山線で行く下総流山の旅 (1) 流山市街地

流鉄流山線に乗って流山駅に辿り着く。
流山市の玄関口であり街の中心でもあるが、流山駅はどう見ても地方の田舎の駅舎だし、旅行に来たような気分になってしまう。
85-74.jpg
千葉県全体から見ればやたらマイナーな流山市だが、廃藩置県の時には葛飾県庁が置かれたり、古くからみりん醸造や水運で栄えていたりと色々と歴史のある街だ。


85-77.jpg
流山駅の駅舎に隣接して使われていないタクシーの車庫がある。総武流山鉄道時代にタクシー会社も運営していた名残りである。
背後の地味なビルディングは流鉄本社ではなく、流山市役所。一応ベッドタウン化が進んでいて、こう見えても人口16万都市。千葉県内では浦安市に匹敵する。
85-75.jpg
しかしよそから見ればどんな街なのか皆目見当も付かないような場所で、我々も事前学習をあまりせずにふらふらと流山駅前に流れ着いた訳で一体何があるやら分からずにひとまず駅前の案内図を見る。
85-76.jpg
特に流山といえば新選組にゆかりのある土地らしく、駅前には「近藤勇・土方歳三離別の地」と書かれた案内看板が掲げられている。
85-78.jpg
駅前を南北に走る流山街道沿いが旧市街地の中心街となる。市役所などがあるにはあって、中心街とは言っても、見たところ完全に取り残されたような街並みだ。ベッドタウン新住民は常磐線や武蔵野線、つくばエクスプレス沿線に住んでいて、旧市街地とは全く生活圏を異にしている模様。
85-79.jpg
流山街道を中心に古い商店がちらほら残っていて、辛うじて街の中心であった事を物語っている。
市役所前の流山一丁目交差点から街道を外れて江戸川沿いに続く「広小路」に出る。すっかり老朽化した牛乳屋の看板に哀愁を感じる。
85-80.jpg
江戸川に接する流山は、江戸時代から水運の利便性を活かしてみりんや日本酒作りが行われてきた土地で、水運で栄えた名残りとして古い蔵造りの商店が残っている。
ちなみに江戸川上流の野田市にもキッコーマンの醤油工場があるが、江戸川流域にこうした工場が作られたのも同じ理由だ。江戸川から醤油やみりん、その原料となる穀物や大豆、塩などを運んでいたのだ。
85-81.jpg
広小路に面する呉服新川屋の建物は明治時代のもので登録有形文化財。
85-82.jpg
広小路沿いはレトロを通り越してもはや時代劇の舞台にもなりそうな程の街並みが残っているが、おおよそ寂れまくっていて観光地っぽくない。
85-83.jpg
浅間神社、常与寺という古い寺社も広小路沿いに並んでいる。なんとなく雰囲気が行徳街道の街並みに似ている。江戸川流域の生活文化が共通していた名残りが見られるのかも知れない。
85-84.jpg
しかし古い街並みがあるというだけで殆どただの住宅地だったりするので、微妙に退屈してきたりもする。そろそろ脇道に入る事にしよう。
85-85.jpg
広小路と流山街道の間に、流山市唯一の観光資源らしい「新選組陣屋跡」があるというので、そこに寄ってみることにしよう。

千葉県流山市
シェアする
逢阪をフォローする

DEEP案内シリーズ全文検索

DEEP案内シリーズ全サイトから記事の検索ができる便利な機能です。

東京DEEP案内
タイトルとURLをコピーしました