両国横網町公園・東京都慰霊堂 (2)

66年目の東京大空襲の日を迎える中、我々取材班は両国にある横網町公園を訪れた。本所・深川地域を中心に焼夷弾の嵐で凄まじい数の犠牲者を出した大空襲の地は、かつて関東大震災でも沢山の犠牲者を出している。そうした悲劇の地であることも露知らず、平和ボケを享受しているのが今の我々の世代なんですが…
引き続き、横網町公園にある東京都慰霊堂とその周りの様子を見て行く事にする。
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この慰霊堂の裏に回ると重厚な造りの三重塔が中央に建っている。内部は納骨堂となっており、ここに身元不明者の遺骨が納められている。


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慰霊堂と隣接して、公園内には「東京都復興記念館」の建物がある。主に関東大震災の被害資料とともに東京大空襲関連の資料も展示している。いまだ生活の匂いが残った遺留品の数々、その他様々なものが見られる。入場無料。内部は写真撮影禁止なので、ここでは外観だけ。
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よく見るとここにも伊東忠太の妖怪が鎮座している。4体並んでいるが中には老朽化で顔が欠けた妖怪の姿もある。
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復興記念館の脇には、関東大震災で発生した大火事で焼損した機械や溶解した金属部品の残骸などが置かれている。これを見てどれだけ猛烈な勢いの炎だったか少しは想像がつくかも知れない。

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溶けた金属の塊だがよく見るとそれが大量の釘の集まりだったり、あとは焼け焦げた印刷機の成れの果てとか、折れた神社の鳥居なども置かれていた。
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その他、関東大震災で犠牲になった児童の霊を弔う「震災遭難児童弔魂像」。
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関東大震災の被害状況を知った中国の僧侶が寄贈したという「幽冥鐘」などがある。
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さらに公園内には関東大震災後に様々な流言飛語が飛び交い、そのせいで殺害されたという朝鮮人犠牲者の慰霊碑が置かれている。
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インターネットどころかテレビもなかった時代の話、大災害後の混乱で無法地帯と化した東京の各地で自警団が形成されたが、飛び交うデマを鵜呑みにして殺された無実の朝鮮人が約6000人居たという。その実態について知るにも何せ昔の話だし、胡散臭いプロ市民の誇張も含まれているので如何ともし難い。
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戦後になって新しく作られた「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。広島の平和記念公園を連想しそうになる。東京でも空襲で10万人以上が死んでいるという事実は、原爆のインパクトが大きい広島や長崎と比べると、あまり知られてはいない。
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この東京都慰霊堂では毎年3月10日には東京大空襲、9月1日には関東大震災の追悼行事が行われる。今年、2011年でそれぞれ66年目、88年目となる。それが果たして遠い昔の出来事だろうかというと、まんざらそうでもなかろう。
安政の大地震、そして関東大震災…関東では75年おきに大地震が来ると言われているが、今の東京は…
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横網町公園に隣接して旧安田庭園がある。ここも小石川後楽園などと同じく江戸時代の大名庭園の名残りを留める場所である。しかし関東大震災による被害で壊滅し、のちに東京市によって復元されている。
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ちなみに地名の「横網町」、現在も墨田区横網という住所表記が残っているが、両国駅が近いせいか両国イコール相撲の先入観から「横綱」と呼んでしまいそうになるが、綱じゃなくて網だ。紛らわしいですね。

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