沢山の労働者のオッサンの姿が見られる朝の山谷・泪橋交差点。車と人が忙しなく行き交う吉野通りからも東京スカイツリーの姿が現れだしてきた。暴力が支配する世界で、敗戦の傷から立ち直ったこの社会を最底辺から支え生きた人々が暮らした下町の姿は、確実に変化を見せている。
泪橋交差点の先にドヤ街・山谷のコアゾーンが広がる。コアゾーンとは言うが簡易宿泊所が多いだけで普通の民家も多いし、まだまだ見た目の異様さは感じる事はないだろう。
朝なので出勤途中の労働者の姿が多いが、もっと早い時間だと手配師のワゴン車やマイクロバスが労働者を載せる為に吉野通り沿いに路駐している姿が見られるそうだ。
しかしこの手配師の数もかなり減少していて、もし手配師が居ても早朝4時半とか5時くらいの話なので、始発電車で山谷に来てもなかなか見られないし、山谷のドヤで一泊でもしなければ拝める光景ではなさそうだ。
泪橋交差点の角に立つセブンイレブンはなぜか「世界本店」というたいそうな名前がつけられている。
かつてこの場所には「世界本店」という名前の立ち飲み居酒屋があった。毎日ワンカップ酒が飛ぶように売れ、懐寒い労働者の身体を温めてきた「マチのほっとステーション」。山谷で最も繁盛していた酒場だったが、それも「時代の流れ」で1999年2月に閉店して、とうとう味気のないコンビニに姿を変えてしまった。
「世界本店」の前の路上には労働者が車座になって朝っぱらから酒盛りしていたとも言われるが、立ち飲み居酒屋がコンビニに変わっても、あまり街の様子は変わらないようで、労働者のオッサン達が立ち話していたり、そこらで座ってワンカップ酒をちびちび飲んでいたりする。
山谷ではコンビニ前の路上で朝っぱらから酒盛りは日常茶飯事。白金台や広尾あたりに行けばオープンテラスのカフェで愛犬と一緒にスイーツ(笑)を食べるところが、山谷では「路上で酒盛り」になる。
仕事が無くとも将来が無くともここに居れば仲間と一緒に飲める。山谷は平成の世に入ってもなお孤独に生きる男どものオアシスとなっているのだ。
泪橋交差点を渡り、セブンイレブンを過ぎて吉野通りに沿って二つ目の角を右に曲がる。するとその先には「城北労働福祉センター」の建物があり、いつ来ても山谷の労働者達が一同に集まっている。
なんだか尋常ならない数のオッサンがたむろしている訳だが、仕事であぶれた労働者だろうか、城北労働福祉センターの前では炊き出しが行われていたりするので、いつも労働者の溜まり場になっている。
城北労働福祉センター前、冬場の炊き出しの光景。完全に戦後の闇市か何かと勘違いしそうだが平成日本で現実に見られるものです。ドラム缶を半分に切ったお手製のかまどの上でぐつぐつ鍋を煮込んでいる。さながら路上でキャンプファイヤー。
連日の炊き出しのせいだろうか、城北労働福祉センターの周囲の鉄柵は真っ黒焦げにされてしまっていて火事の跡かと思ってしまうくらいだ。リアル北斗の拳ではない。ちなみにこの鉄柵は最近になって建物の外装リニューアル工事が始まり、全て取り除かれていた。
「この付近で焚き火や酒盛り、またゴミの不法投棄は住民の方の迷惑になるので、行わないようお願いします」と書かれた看板も全くの無意味。お役所の決めたルールなど無視してナンボというのが極左プロ市民クオリティ。
普段でも城北労働福祉センターの敷地はホームレスさんのねぐらになっていたり、労働者のオッサンが素っ裸になって身体を洗っていたり、回収した空き缶が大量に置かれていたりと色々カオスでフリーダムな光景が見られるのだ。
山谷では、おおよそ釜ヶ崎の「あいりん労働福祉センター」に当たる場所がこの周辺と看做して差し支えない。ただ職業安定所だけはここにはなく、少し離れた場所(清川二丁目・玉姫労働出張所)にある。施設の規模を見ても分かるが釜ヶ崎のようなでかいハコではない。
そしてお決まりの極左団体のアジ看板がいつも建物の前に置かれていて、釜ヶ崎同様の香ばしさを感じる事が出来る。
というか、このテの団体は大阪も東京も活動内容が全く変わりないようで、なぜか西成警察を非難するビラまで一緒に貼りつけられている所が面白い。さしずめ「連帯」といった所だろうが、山谷は釜ヶ崎の東京支部といった所で。
なぜか一部プロ市民団体が40年前の話を延々ほじくり返している狭山事件ネタまで…まあ全部繋がってるんですねこういう人達は。いまどきこんな化石同然のアジ看板は山谷か釜ヶ崎くらいでしか見られないだろう。
ドヤ街「山谷」の歩き方・2010年版
- 振り返れば泪橋
- 城北労働福祉センター
- 寄せ場から福祉の街へ
- マンモス交番
- ドヤあれこれ<前編>
- ドヤあれこれ<後編>
- 玉姫稲荷神社靴祭り
- いろは会商店街