東京を代表する巨大ドヤ街「山谷」の歩き方 (2010年)

台東区

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ドヤ街・山谷には約160もの簡易宿泊所が密集している。その旅館の多くは西成・釜ヶ崎のようなビルタイプのものではなく、2階建ての木造建築の体をなしている。人口密度で言うと釜ヶ崎の半分もないであろう。

それゆえドヤが立ち並ぶ山谷の街並みも、釜ヶ崎とは違っていて意外にゴチャゴチャしている様子がない。街並みが釜ヶ崎に近いのは、山谷よりもむしろ横浜・寿町の方である。

山谷のメインストリート・吉野通りから一本内側の路地に入ると沢山の簡易宿泊所が並んでいるのが目に付くだろう。年中酔っぱらいが暴れている様子もなく、普段は閑静な住宅街とも言える佇まいで物騒さは感じられない。

各旅館の前にずらりと自転車が並べられているのは、みな住民の私物である。通勤の他、近隣の買い物や浅草の繁華街まで出掛けるにも自転車一台で事足りる。山谷エリアを含めた浅草の北側は鉄道不毛地帯で、バス路線はあるにはあるが、生活するなら自転車は必須だ。

当然ながらドヤ街に暮らす人々の中には独居老人の姿が非常に多い。狭苦しいドヤ暮らしが長く、暇を持て余して部屋を抜け街を目的もなく徘徊する老人の姿があちらこちらに居る。

しかしプライベート空間が希薄なドヤ暮らしでは比較的他人の目が近い所にあるので、郊外の団地で孤独死する年寄りと比べるとどちらがマシな老後なのかと考える。それでも孤独死が起きているらしいが。

ドヤだらけの路地はいろは会商店街のアーケードの一本南側にも続いている。

「さくら」「オオゾラ」「大東館」と三軒続いた所でコアゾーンの西端となる。

一方、いろは会のアーケードはそのまま吉原土手の前まで続く。

大東館の裏の電柱にはなぜか「日帝打倒」の四文字。どこの極左でキムチなのかよくわからんが反日プロ市民の成れの果てがおふざけに落書きでもしたのか。

簡易宿泊所の玄関にはたいてい旅館の屋号とともに一泊の料金が提示されている。それを見るとだいたい一泊が2200円平均、2100円、2300円などと書かれている事が多い。

聞く所によると山谷エリアにおいて東京都の生活保護制度で出される住宅扶助の上限が一日2300円らしい。昭和の木賃宿は平成の貧困ビジネスホテルとして生きているのだ。

三階建てなのか四階建てなのか外観からでは判別不可能なのは「大野屋南新館」。高さだけはどう見ても三階建てなので、最初からドヤ用にワンフロアーを低く作ったものであろうと思われる。今の建築基準ではおそらく無理がありそうだ。この外観だが、一泊2000円との事。

城北労働福祉センター向かいの「登喜和」。玄関付近の2階部分のバルコニーにカタカナで屋号がくり抜かれた装飾がある。昭和30年代あたりのセンスそのまま。

いろは会商店街入口前の路地を南へ行くと、そこもやはりドヤが密集している。

コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュなデザイナーズドヤ「カンガルーホテル」(一泊3300円)はこの路地の並び。向かいに「小松屋」、隣に「あづみ野」。

その先、四つ角に元赤線の転業旅館かと思わせるような風流な佇まいの「旅館泉屋」がある。ここもやはり簡易宿泊所の一つらしい。ドヤ街と一言で言えども個性はさまざまである。

泉屋からもう一ブロック南側の区画に出ると住所は日本堤から東浅草二丁目に変わり、ドヤ密集ゾーンからは外れる事になる。

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