どうぞ、お好きなSNSで拡散して下さい

東京最大のスラム・四谷鮫河橋谷町があった街…新宿区「若葉・南元町」

>3ページ目を読む

「鮫河橋谷町」と呼ばれていた谷底に沈むかつての貧民街、その面影は小奇麗なマンションに変わりつつある現在の若葉二丁目、三丁目界隈を歩いていてもあまり残ってはいない。

が、少し路地裏に目をやると、狭い谷底の窪地に古い住宅がみっちり建っていたりして、当時の雰囲気をにわかに感じさせるものがある。

若葉二丁目商店会から少し外れて戒行寺坂に入ると、そこには一軒の銭湯が。「若葉湯」というバリバリ地元密着型の小さな銭湯である。この界隈は道を歩いていても老人の姿しかない。それなりに銭湯利用者が多いようだ。

銭湯の隣にはちゃんとコインランドリーも用意されている。見捨てられたような谷底の街に切り取られた昭和の風景があった。

コインランドリーの内部はいたって小さな部屋になっているが、今でも利用者が多いのか手入れが行き届いていて、古い割には清潔感が保たれていた。

洗剤の自動販売機や看板はそのまんま昭和仕様である。戦後何十年も変わらない日常が続いているかのようだ。

銭湯の隣でレトロな外観を見せる「理容ワカバ」は一見して店の様子がおかしい。表の張り紙を見るとアパートになっている2階が火事を起こした為当分休業との事。木造家屋密集地には常に火災のリスクが付きまとう。

銭湯や散髪屋はさておき、いよいよ鮫河橋谷町の路地裏に忍び込む事にする。見た目には綺麗な一軒家が目立ってはいるが、よく観察すると思いの外古いアパートが多い事に気付くだろう。

谷底に沿って走る商店街の道を中心に住宅街の路地がまるで櫛の歯のように連なっている。その行き止まりはたいがい崖である。この崖がかつてのスラム街の内と外を分けていた天然の境界線だったわけだ。

今も崖下に残る小さな祠は、昔この土地で貧しい暮らしに耐えていた人々の心の拠り所だったのかも知れない。

この界隈の狭い住宅街の風景は台東区や墨田区あたりで見かけるものと殆ど変わる事がない。この路地をかつて永井荷風も歩いており、その当時の様子を「日和下駄」に書き連ねている(→詳細

再び谷筋の商店街へ出てスーパー丸正の先から若葉三丁目に入ると、右手から信濃町方面に道が分かれている。その先はご存知ルーマニア領三色旗村で、別の意味でDEEPになってしまう。

相当の築年数を誇る妖怪屋敷のようなアパートも。鮫河橋谷町の貧民窟を彷彿とさせる光景が残っている。戦前までの話とはいえ、東京市中最大のスラム街だったという場所なのだから、何も残っていない方がおかしいはずだ。

若葉三丁目の住宅地に入ると路地裏はさらに狭小で複雑な様相を呈する。両側にアパートの軒がぶつかりそうな所に洗濯物が干されている。路地の奥には相変わらず威張るようにアパート街を見下ろす高級マンション「パークハウス四谷」の建物が見える。

路地裏に猫がいるとつい遊んでしまいたくなるものだが、コイツは警戒心の強い猫で、人に向かってフーッと威嚇してくる愛嬌のない奴だった。鮫河橋の猫はどこか殺伐としている。

>5ページ目を読む


東京最大のスラム・四谷鮫河橋谷町があった街…新宿区「若葉・南元町」

The following two tabs change content below.
東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.