駅前からパチンコ屋が乱立するパチンコ岩の異名を持つ東京の東の外れの歓楽街「新小岩」だが、昔から娯楽産業が盛んだった街の歴史の一つに、この街に「丸健カフェー街」と呼ばれる赤線地帯が存在していた事が挙げられる。
「◯に健の字」のトレードマークが刻まれた提灯が店先に飾られていた事からそう呼ばれていたそうだ。戦後、焼け野原となった亀戸天神裏の赤線地帯から移転した業者が集まり最盛期には80軒程度の店があったと言われる。
現在の住所で言うところの江戸川区松島三丁目、新小岩駅南口からルミエール商店街のアーケードを抜けた先の一帯が赤線跡になる。アーケード街の途中で葛飾区と江戸川区の境目を跨いでいたとは露知らず。まあどっちも変わらん気がしますけどね。
2010年当時、ルミエール商店街を出て道なりに進んだ先の三叉路の前に、辛うじて赤線時代からの現役と思われる建物が存在していた。赤線時代の建物だったという歴史すら感じさせず、角は弁当屋、他にはごく普通に居酒屋なんぞが並んでいるだけ。
店が4軒並んでいるように見えるが、離れて見ると棟続きの長屋だという事が分かる。特徴的なのは、角の弁当屋のバルコニーになんとなくカフェー建築風味なアールが掛かっている事くらいか。該当部分は松島三丁目40番地に属する土地です。
その長屋の弁当屋の脇から路地の奥を見る。昔はこの区画に「丸健カフェー街」の建物がぎっしり詰まっていたらしいが、もう殆どが駐車場に変わってしまっていて、痕跡を見るという点ではギリギリ最後のタイミングだった。
長屋の裏側も同様にコインパーキングになってしまっている。棟続きだが、裏から見てもやはり一戸ずつが独立した作りだ。長屋の末端の壁がトタンで補修されているのを見ると昔はさらに棟続きに建物が連なっていたのだろうと推測する。
長屋からコインパーキングを挟んだ向かいも月極駐車場の出入口に変わっていて、すっかり歯抜け状態になった土地にぽつんと残った家屋が向き合う。もう末期的もいいところである。
このぽつんと残る平屋建てに「小蝶」という屋号の古いスナックが残っていた。ボロトタンに緑の塗装。この怪しげな佇まいを見ても分かるが、これが赤線「丸健カフェー街」時代から続いていた最後のスナック…年老いた婆さんが一人で細々とやっていたそうだ。
他にも区画に残るいくつかの建物はその多くが老朽化していて、なおかつトタン板が張り付けられて簡素な印象を受ける。全ての建物が赤線現役当時から残っていたものなのかはよく分からない。
さらに隣の路地に入る。ここも普通に住宅ばかりとなっている。突き当たりも例外なく空き地か駐車場に変わっているが、昔は「山喜」という屋号の料亭があった。
駐車場へは通り抜け出来ず、行き止まりには「小料理かつこ」の建物が残っている。ここも営業している様子がない。
住宅として残っている区画には怪しげな趣きの細かい路地が残っているが、今では住民の生活道路でしかない。眼前には無機質なマンションがそびえていて、風情も糞もあったものではない。
その住宅も老朽化した部分から櫛の歯が欠けたように次々と建物が取り壊されていく。更地のまま放置されていて、何とも虚しい。これだけ駐車場だらけになってしまっているという事は、近いうちに時期を見計らってマンションが建設される雰囲気すら感じられる。
とかなんとか言っていたら、本当にここいら一帯がまるごと解体されてマンションの建設現場になってしまっていた。建物が無くなったのは2012年中の事であったと思われるが、2013年10月末に当地を訪れた時は既に敷地にフェンスが掛けられご覧の通りに。
そうかあ、丸健カフェー街の跡地はライオンズマンション(ライオンズ新小岩グランフォート)になるのかあ。ふーん、って感じですが、既に完売御礼の模様。まあ確かに駅から傘いらずのアーケード街を抜けたすぐ向こうという通勤にも生活にも便利な土地だもの、デベロッパーは喉から手が出る程欲しい土地だし、買い手の需要も大いに見込めたのでは。
住人も毎日通勤通学の帰りに激安リサイクルブティック(たんぽぽハウス新小岩店のことです)でお安くセンスの悪い服が買えますし充実の下町ライフがお約束できます。住みやすい街新小岩!人身事故が多いのが困りものだがな。