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東京にもあるハンセン病療養所「国立療養所多磨全生園」を訪ねる 

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今からちょうど百年前、日本におけるハンセン病患者隔離施設として初めて全国五ケ所に整備されたうちの一つ「多磨全生園」にやってきた。らい予防法が廃止され、患者を隔離する根拠もなくなった後も、療養所の中で暮らしている元患者はおよそ300人程度居るそうだ。

いずれも高齢で、入所時に家族や親類、職場など全ての人間関係を断たれてしまってから長期間が経過してしまっている後では、身寄りもない人間をそう簡単に受け入れられる訳もなく、行き場もないというわけだ。

全生園の敷地内に古びた神社がある。永代(ながよ)神社という。昭和9(1934)年に当時の入所者達の手で作られた神社である。入所者は身柄、就職、婚姻など様々な面で不自由を受けたが、信仰の自由だけは保たれていた。

神社の由来が書かれた石碑には、昭和9年の建造時に伊勢神宮より余材五石の払い下げを受けて本殿及び境内の工事を行ったと記されている。戦後はGHQの指令により一度神社は撤去されたものの、昭和30年に再度建立されて現在に至る。

境内は小さいながらもしっかりと作られているが、入所者が減少して行く中で徐々に荒れるがままになっている感がある。いずれ時代とともに入所者が居なくなると全生園自体も無くなるかも知れないが…

永代神社の本殿は非常に小さい。周りは鬱蒼とした森に囲まれている。

神社の脇には第一面会人宿泊所とプラカードの下がった平屋建ての建造物が残っている。建物は古いが、恐らく患者隔離政策が廃された後に元患者と家族の面会のために用意された建物だろうか。

元患者の居住地域を通りがかると、やけに共産党のポスターが多い事に気がつく。近年になってようやく自由になったものの、ここで流れている時間は外の世界とは明らかに違っていたわけだ。

敷地内の掲示板にまで共産党ポスターが貼られているのを見ると、かなり強固な支持基盤があるように思える。

我々が多磨全生園を訪問した11月3日は、園内を挙げて「全生園まつり」が開かれていた日だった。普段は寂寥感に包まれているであろう園内がにわかに活気付く。元患者の家族を中心に付近の住民も集まって、そこらじゅうで屋台料理を食ったり踊りを見たりする。

全生園の中心エリアに「コミュニティセンター」が建つ。ショッピングセンターを兼ねていて普段の買い物などが出来るようになっている。

ちなみに昔、患者隔離政策が行われていた時、療養所の外へ出る事が許されなかった入所者には、現金の代わりに園内でしか通用しない地域通貨のようなものを配っていた。脱走を抑制する手段の一つであったと言われている。

近くの福祉会館内には法務省による人権啓発コーナーが設置中。人KENまもる君と人KENあゆみちゃんがいるぜ。

人権啓発も大事ですがそれ以上に人権を盾にプロ市民が政治利用したりゴネたりする人が多いのが難儀な昨今。

再び園内の案内図を見渡す。敷地の中心にコミュニティセンターや簡易郵便局、共同浴場など生活において必要な機能が一通り集約されていて、周辺に居住地域、敷地の端に医療施設と官舎、宗教施設やグラウンドが取り巻いている形になっている。

全生園の中心から、園内各所への案内通りに進む。

そこに書かれている「軽症夫婦寮地区」の文言が引っかかるが、これもハンセン病療養所ならではのもので、軽症であれば入所者同士の結婚生活を認められるというものだ。しかし結婚には「断種」と「強制堕胎」が条件となる。

日本のハンセン病政策で最も非難を浴びたのが徹底した患者の断種である。病気の撲滅よりも患者の撲滅を先に考えたのだ。

ハンセン病資料館の展示によると昔は夫婦寮すらなく、患者同士の恋愛も大部屋で人目を憚るように行っていたと紹介されていた。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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