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東京にもあるハンセン病療養所「国立療養所多磨全生園」を訪ねる 

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日本のハンセン病隔離政策の象徴である全国13ヶ所の国立療養所。隔離の歴史からおよそ100年を迎え、ハンセン病そのものは治療可能な病となりその存在自体も公に知られるものではなくなった。

患者が背負ってきた病苦と差別による苦しみ、隔離政策による負の歴史は時代とともに忘らさられようとしているが、近い将来、高齢化したハンセン病患者が居なくなる時代へ向けて、元患者や支援者の手によって多磨全生園の園内各所の建築物を保存・再建する動きがある。

「人権の森構想」によって再建された「山吹舎」の建物が園内南西側の一角にぽつんと置かれている。もともとは昭和3(1928)年に建てられた男子軽症者の独身寮である。

その外観は美しい日本家屋らしい趣きのある建物ではあるが、建設当時は12畳のひと部屋に6~8人が同居する形のものだったそうだ。

山吹舎の真ん前には2003年に再建された当時の小泉政権時代の坂口厚生労働大臣の名前が入った記念樹が植えられている。当時は政府のハンセン病控訴断念と小泉談話によりマスメディアが一斉に注目をした時期だった。

今のところ建物の保存運動で手が回っているのは山吹舎くらいで、残る建物はことごとく廃墟のまま放置されている。ひときわオンボロ具合の凄まじい建物は「少年少女舎」である。かつては未成年のハンセン病患者が集団生活をしていた場所である。

一部分は雑草や蔦が覆い茂って建物の原型が分からない状態になっている。

廃墟が立ち並ぶ敷地に隣接して「ハンセン病図書館」に使われていたコンクリートの建物がある。ここも現在は使われていない。

建物玄関の真ん前にはいちいち目立つように貼られた「モーターボート競走交付金補助施設」の看板が。「戸締り用心、火の用心」日本船舶振興会会長笹川良一氏の名が刻まれている。

かつて政界のドンとも言われた笹川良一氏の存在は大きく、日本各地に競艇売上金の一部を社会還元して作られた施設や福祉車両(車両に「ありがとう競艇」と書かれている)などを今でも見る事ができる。

これまで笹川良一氏率いる日本財団はハンセン病撲滅活動にも取り組んでいて、この建物もその一環であろう。

さらに周辺には宗教施設ばかりが立ち並ぶエリアが広がっている。

入所者の宗派に問わず仏教・神道・キリスト教と色んな樣式の建物が向かいあって建てられている様子は独特である。

宗教施設ゾーンの片隅に置かれた礼拝堂の鬼瓦。

もっとも、これらの建物も入所者の減少に伴って寂れるに任されているような状態で、全くもってひと気が無い。

教会の背後に大きな給水塔のようなものが建っている。

生涯療養所の外に出る事を許されないという運命は絶望以外の何者でもなかったのだ。そうなった時に人は神や仏に救いを求める他無い。ハンセン病患者の苦悩の証である。

東京ドーム7個分以上の広大な面積を持つ多磨全生園の全てを見た訳ではないが、様々な思いを巡らせながら一周してきた。

ハンセン病の問題は日本だけではなく世界各国にも当然存在しているのだが、日本の場合は誤った隔離政策が元で大きな禍根を残し今に至っている。

医療技術が進歩していない時代に正体の分からない病に対峙した時に医療者や政治の判断がどのように成されるのか…また未知の病が現れた時に偏見や差別に満ちた同じ道を辿らないとは限らない。判断基準が分からない場合、人はどうしても見た目で判断しようとするからだ。皮膚組織が崩壊して顔面や体中が醜形化する病、それは悲劇でしかない。

多磨全生園内は自由に出入り可能であるが、医療関係者向けの見学会も実施しているので詳細は公式サイトで確認のこと。

ちなみに海外のハンセン病資料館では、ハンセン病を発見した医師アルマウェル・ハンセンの国であるノルウェー・ベルゲン市にあるハンセン氏病記念館が有名である。



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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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