飯能市旧名栗村・旧埼玉銀行頭取が築いた宗教パラダイス空間「鳥居観音」 

飯能市

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埼玉県飯能市・旧名栗村に生まれ、旧埼玉銀行頭取、参議院議員まで務めた地元の名士・平沼彌太郎氏がその晩年を捧げ創り上げた「白雲山鳥居観音」。境内に広がる仏像群や建造物群の殆どが氏が一人で制作したという。

鳥居観音最大の見所は白雲山頂上にそびえ立つ高さ23メートルの救世大観音像である。昭和46(1971)年建立。ひと際存在感を放つ白亜の大観音像、これも全て平沼氏の設計に基づいて造られている。

途方もない労力をもろともしない観音様への情熱を感じずにはいられない。

大観音像の足元に通じる階段を登り詰めると、そこには鉄製の玄関口があった。実はこの観音像は堂内を参拝する事が出来る(拝観料200円)のだが、行ったのが冬だったため残念ながら閉鎖されていた。基本的に拝観可能なのは3月から11月までの土日祝日のみとなる。

玄関前の螺旋模様が入った赤い柱はギリシャのクレタ島にあるクノッソス宮殿の逆さ柱をモチーフにしたもの。足元には堂宇を警護すべくそれぞれ3体ずつの獅子が柱の両側に回り込むような形で居る。ハンパなく貪欲な平沼氏のセンスが光る。

中近東やインドの宗教建築様式を日本寺院の様式にミックスした新しい試みであると案内看板に書かれている通り凄まじい建築物だが、中を拝観するのは次の機会だ。

傍らには「造立の概要」が延々と書かれた案内看板が置かれている。事細かな説明に涙がちょちょぎれる思いだ。

救世大観音像の足元には大量の卒塔婆が隙間なくびっちりと並べられていた。

堂内に入ると永代供養のミニ観音像が約一万体奉られている、との事。

卒塔婆の真上の壁に刻まれたレリーフ。何から何までスケールがデカ過ぎてぐうの音も出ません。

さらにインド・ガンダーラ遺跡の発掘品を参考に作られたという納経塔がド派手である。昭和48(1973)年建立。内部には般若心経の写経などが多数保存されている。

最後に、救世大観音像の手前にそびえ立つ「玄奘三蔵塔」を見物。パッと見は完全な中国様式であるが、三重塔の下から順番に第一層が日本様式、第二層が八角形の中国様式、第三層が十六角形の南方様式と、まるで一粒で三度おいしいごちゃまぜ仕様となっている所が彌太郎スタイル。昭和35(1960)年建立。

地元企業からの寄付もあったのかして足元には「埼玉トヨペット観音講」と刻まれた灯篭まである。経年劣化で剥がれたコンクリートの上から赤いペンキで塗り直された跡がある。

しかも堂内には西遊記で知られるあの三蔵法師の骨が奉納されているという。実は同じ埼玉の岩槻にある慈恩寺にも三蔵法師の骨が奉られていて、そっちの方が有名だったりする。

軒下やら外壁全てが白一色で塗り固められていて非常に眩しい。

玄奘三蔵塔の扉は閉ざされたまま。堂内拝観は無理っぽい。それにしても扉の一つにかけてもやたら豪華絢爛。元頭取である平沼氏の財力と観音信仰への情熱、そのどちらかが欠けていたなら成し得なかった存在だ。

お堂の周りを一周する事も出来る。周りに見えるのは秩父山地の山深い風景のみ。一応は紅葉の名所になっているので、シーズン中にはそこそこ参拝者が訪れるそうだ。

それはそうと塔の手前に置かれた大香炉もやたらご立派である。全く端から端まで抜かりがない。

これもインドかどこかの宗教様式を取り入れたエキゾチックな彌太郎スタイル。

これだけの貴重な宗教建築を創り上げた平沼氏のパワーにも恐れ入るが、惜しむらくはあまりに山奥にあって参拝者がやたら少ないせいか、途中の山道や建築物にも蜘蛛の巣が張ったまま放置されている事。主要な建造物は概ね手入れされてはいるものの、終始放置プレーな雰囲気が漂っている事に将来を憂える。

決して歴史のある寺ではなくひたすら個人プレーの結晶である鳥居観音だが、一度は訪れる価値がある。我々取材班もこの一回の参拝で境内の全てを見た訳ではないので、近いうちに再訪するかと思う。


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