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江東区東陽町に吉原に次ぐ東京第二の遊郭があった…赤線地帯・洲崎パラダイスの街「深川洲崎弁天町」を歩く 

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吉原と肩を並べる程とまで言われた深川洲崎弁天町の遊郭。しかし今では単なる住宅街に変わってしまっているとは言え、そのまま何も見ずに素通りで帰る訳にもいくまい。

戦後十数年間だけであったが、洲崎の大門通り東側一帯は洲崎パラダイスという赤線地帯として賑わっていた。その痕跡が殆ど残っていないにせよ、現在の街並みにもどこかしら匂いが感じられるかも知れない。そう思って洲崎の住宅街を探索し始めた。

大門通り、ホテル東陽(アパホテル)のある東陽一丁目交差点を東に入ると、鬱蒼とした街路樹が覆う通りが東西に走っている。この道に沿って先程の「大賀楼」の建物がそびえている。

大門通り沿いは概ねマンションだらけに変わっているが、一本内側に入った路地はまだまだ下町の風情が色濃く残っていた。

マンションの1階に存在する銭湯「第一弁天湯」。洲崎遊郭跡にはここと大門通り西側の金春湯の二つの銭湯がある。傍らにはコインランドリーと公明党・共産党のポスターがある。

第一弁天湯の前には古い飲食店や散髪屋が残っている。

年季の入った「レストラン・喫茶 ニュー歌の家」の看板。しかしその下には「なぎさ」とある。

店の玄関はガラクタや植木でびっしり覆われていて、どう見ても営業している様子ではなかった。

それどころか隣の店も玄関先に植木が置かれている。2つの飲食店の間はひたすらガラクタ置き場である。

銭湯があるという事は周りにボロアパートがかなりの数であるという可能性を示している。案の定街中にはこうしたアパートが至る所に存在している。

郭の東端に辿り着くとその向こうへは登り坂が続いている。郭の外は戦後埋め立てられた土地で、小学校・中学校、オフィス街や新興マンション街がある。

この場所は学校への通学路で、小中学生の行き来が激しい。防犯標語看板がいくつか置かれている。

洲崎の東端も郭の内と外で高低差があるせいで、大部分が壁によって遮られている。

遊郭跡の南東端は都営住宅が並ぶ。5棟が並ぶ団地のうち、高層の5号棟を除く4棟が「洲崎弁天町アパート」、5号棟だけが「東陽一丁目アパート」とそれぞれ名前が違う。

郭の北東端の土地は何かの開発用地になっているようだが長年放置されていて見るからに寒々しい。その向こうにみえるでかい団地は、やはり都営住宅の「東陽三丁目アパート」である。

洲崎遊郭跡のカフェー建築は3軒以外見かけなくなってしまった訳だが、隅々まで歩いて観察してみると怪しげな元スナック風の店舗の跡も見られる。赤線廃止後もこっそりと「営業」していた店もあったらしいが、今となってはその痕跡を探すのは難しい。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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