どうぞ、お好きなSNSで拡散して下さい

江東区東陽町に吉原に次ぐ東京第二の遊郭があった…赤線地帯・洲崎パラダイスの街「深川洲崎弁天町」を歩く 

<4ページ目を読む

洲崎遊郭は戦災で一度壊滅してしまっているだけに、戦後「洲崎パラダイス」として復活したカフェー街はともかく、それ以外の土地には戦後の住宅難という事情でどんどんアパートが作られたようで、南開橋に近い南側に行けば行く程ボロアパート率がぐんと高くなる。

南開橋に近い側の洲崎遊郭跡には昭和30年代くらいに建てられたような古いアパートがそこかしこに転がっている。

そしてボロアパートと同じくらいよく見かけるのが、あちこちに虫食いのように開いた「都有地」の存在だ。いわゆる「塩漬け土地」のようなものであろうか、金網で遮られた敷地内は雑草が覆い茂って何年も放置されているようだ。

南開橋のたもとに来ると、その傍らには不自然な都有地に挟まれて建つ赤い壁のアパート群が見える。

そのうち大規模な開発を行うのだろうか、詳しいことはよくわからない。

洲崎遊郭跡の南端には汐浜運河が流れ、その南側の塩浜地区は戦後に出来た埋立地。深川第八中学校の建物が見える。

南開橋を挟んだ西側も同様に広大な塩漬け土地がそのまんま放置されている。

そしてここにもボロアパートが建っているのが見える。昔は木場辺りの貯木場の労働者が住み込んでいて、洲崎パラダイスの存在もあってさぞかし男の街の匂いがプンプンしていたのだろうが、今となってはジジイだらけの福祉アパートとなっていそうだ。

アパートの玄関口。若竹荘と書いてある。中を覗き込んで見るが真っ暗でよく分からなかった。

アパート若竹荘は第一と第二の二棟あって、その間の隙間から部屋の様子を見ようとしたが生活感は全く感じられない。使い古された自転車があることから、住んでいる事は間違いないようだが…

汐浜運河に面する洲崎弁天町最南端の住宅地に入る。そこもやはり草ボーボーな都有地のオンパレード。

これだけの土地を都は何に使おうとしているのか、さっぱり意味不明である。具体的に想像出来るのは都営住宅を建てる事くらいだろうか。

さらに、金網越しに見えるのは明らかに人が生活しているバラック家屋の存在だ。鮮やかな青色のトタン板に覆われた家は芸術的にすら思える。そして玄関口には共産党ポスター。

この周辺では堤防に沿って有り得ない土地に数軒ほどの家が並んでいる。やはり戦後のドサクサなんだろうか。

>6ページ目を読む


The following two tabs change content below.
東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.