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【横浜の暗部】石川町駅近く「中村川の不法係留船」が廃墟化していた【ダルマ船】

横浜市の中心部を流れる「中村川」…幕末期から開かれた横浜の街の歴史をある意味最も濃厚に残した川の一つであるといっても過言ではない。大岡川の支流で、南区の蒔田公園付近から分岐する形で、首都高速神奈川3号狩場線の真下を陰気臭く流れ、晴れた昼間も川面には日が当たる事もない。そして川というよりは運河のような体裁をしている。

この中村川の流域には日本三大ドヤ街の一つに数えられる寿町や、同じく簡易宿泊所が多い中村町、下町風情全開な横浜橋通商店街近くの三吉演芸場といったものがあるなど、横浜の中でもとりわけ庶民、労働者世帯が数多く暮らす、常日頃から高速道路の陰に隠れたこの川と同じ“日陰の街”というべきエリアで占められている。ここは港町横浜の有史以来、荷役作業に従事する労働者が船上生活を営む“水上スラム”を形成していたという場所でもある。

そんな中村川の下流には一転、高級ブランドショップが集結しおセレブ層なハマっ子達が外車で乗り付けては羽振りの良さを見せつけんとばかりにしゃなりしゃなりと練り歩く「元町商店街」があったり、観光地となっている中華街や山下公園といった場所となる。ここからすぐ南側の高台にある、かつては外国人居留地だった山手町の高級住宅街の存在も、天と地ほどの世界の違いを思わせる。この明暗の極端さが横浜の最たる特徴といっても良い。

中村川水上スラム最後の物件、西の橋近くの不法係留ダルマ船はいま

そんな横浜の明暗の分かれ目となっている、元町商店街入口付近を流れる中村川に架かる「西の橋」…JR根岸線石川町駅のすぐそばにある、人通りも多い橋だ。関東大震災で深刻な被害を受けた横浜特有の事情もあってか、大正15(1926)年11月に当時の復興局が建造したという由緒ある橋となっている。ちなみにこの西の橋から下流側は堀川とも呼ばれる。

で、そんな「西の橋」の上から中村川の上流側を見ると、右手の左岸側に一隻の船があるのが分かる。2011年に当サイトでも紹介した、現代の横浜・中村川に残る最後の不法係留船だ。おいおい、まだあったのか…せいぜい戦後の時代の話だとばかり思っていた日本国内における「水上スラム」というものが、ここ横浜では平成の終わりとなるつい最近まで実在していたという事実に改めて衝撃を受ける。

この不法係留船については2011年、2014年と度々その様子を見に来ている我々だが、実際に人が暮らしていて、飼い犬まで居たのを目撃している。だが、令和の時代を迎えた2019年5月現在、この船は空き家となりそのまま朽ち果てていた。そしてその船体も大きく右側に傾いてしまっている。

以前のレポでもお伝えした通り、この船は「ダルマ船」とも「バージ船」とも呼ばれる、船上に大量の貨物を積んで運ぶための「艀」という船を住居用に改造したものである。戦後の横浜にはこうしたダルマ船を改造した水上家屋が多数存在したとされ、2011年頃までドヤ街寿町近くの車橋付近にあった“水上ドヤ”もとい「船の休憩室・北斗星」と並んで近年の横浜に生き残っていた不法係留物件の一つだ。

たまたま干潮時に訪れたせいで、船体が傾いて水没してしまったダルマ船の下側に貝類がびっしり付着している様子が見られたのだが、これが満潮時になると船のデッキの右半分が水没してその上に設けられた家屋部分も“床上浸水”するらしい。傍らに置かれたプロパンガスのボンベも塩害の影響で侵食されているのか下側が赤茶けて、いずれガス漏れを起こすのではなかろうかという危うさも見せている。さて、不法係留船の主は“立つ鳥跡を濁して”どこに行ってしまったのか。

かつて別の不法係留船があったと思しい位置にある鉄製の階段もその土台から完全に錆び切れてしまっている。不意に足を踏み入れようものならそのまま中村川にドボンである。

西の橋付近は中華街と元町商店街、JR石川町駅の間を移動する歩行者の動線にあたる場所だが、首都高狩場線の真下にあるこの場所は歩道があるにも関わらず、川沿いの何もないスペースが連なっているだけなので、このようにホームレスの住処があったりもする。以前はここに家電等が不法投棄されまくっていたのだが、こういう風景を目にすると“都会の死角”という言葉が真っ先に思いつく。

念の為に不法係留船の近くまで様子を見に行く事にした。鉄製の足場から船にはタラップが架かっていたはずだが、船が傾いたせいかしてタラップ自体が船体から大きくはみ出て船のデッキから外れて落っこちていた。完全に無人の廃墟として放置されていることは明らかである。

デッキの上には家屋と物置小屋が建てられていて、その間のスペースがちょっとしたテラス的な空間として船上生活者の憩いの場として活用されていたようだが、そこも完全に荒れ果てている。それから船首部分は犬小屋もあって、そこで大型犬が飼育されていたのだが、今となっては犬の姿も無くなっている。

船尾の部分にはプロパンガスのボンベ以外にもガス給湯器や衛星放送受信用のパラボラアンテナ、洗濯物を干していたと思しきピンチハンガーやら家庭菜園なんかに使うプランターまであって、いやがうえにも生活感を漂わせている。不法係留船なのに電気ガス水道といったインフラの類はちゃんと整備されていたというのが不可思議極まりない。

8年前、2011年5月当時の不法係留船の様子と比べる

ここで新旧対比のために2011年5月に撮影した時の不法係留船の様子をご覧いただこう。ダルマ船の下の部分にも窓が取り付いているのが分かる。居住空間としては上下で“二階建て”になっていたようだが、この下の部分が今では船体が傾いてしまった影響で水没してしまっている。

デッキの上の“憩いのスペース”にはやけに沢山いろんな種類の椅子やテーブル、はたまた事務机なんかも置いてあったりして、個人で使うぶんにしては多すぎるのではないかと傍目には思うほどであったが、ここで何か“会議”とかもやってたんでしょうかね?

家屋部分の玄関口もしっかり設えられていたわけだが、この玄関口には「白龍会」「皇統同志会」と書かれた板張りの看板が両脇に飾られていて、船首には日本国旗まで掲げられていたのを見ると、船上生活者の主は街宣右翼関係のお方なのだろうということは容易に想像できた。調べたところどちらも近隣の横浜市中区吉浜町に住所がある同名の政治団体がヒットしたが、これが同一かどうか断定はしないでおく。

そんな不法係留船で飼われていた白いワンコちゃん、8年前のお姿です。どこに行ってしまったのでしょうね…

横浜のど真ん中で、まさに人々から忘れ去られようとしている負の歴史の片鱗をまざまざと見せつける「中村川の不法係留船」、令和の時代の始まりに、いよいよ最期の姿となってしまったようである。結局これも横浜市が税金を使って撤去する幕引きしかなさそうですけどね。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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