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【横須賀の三大遊郭跡】小泉純一郎邸の近所にある横須賀の遊郭跡「安浦」を歩く

軍都・横須賀には戦前から軍関係者や関連産業で勤める労働者を慰安するために街の各所に遊郭が作られた。もちろんそれらは昭和33(1958)年の売春防止法施行により表向きには姿を消したが、今も建物などが生々しく残っているだけでなく、細々と「営業」を続ける店もあるとかないとか。横須賀の遊郭は、安浦、柏木田、皆ヶ作の三ヶ所がよく知られている。

横須賀中央駅から各駅停車でさらにひと駅、京急県立大学駅で降りる。2004年に駅名が今の名前に改められるまでは「京急安浦駅」だった。安浦という地名が遊郭を思い浮かばせるから駅名を変更したのだろうか。玉の井が東向島に変わったように。

駅を降りるとのっけから下町風情全開な街並みが広がっている。この付近は大正時代に海岸を埋立てて作られた土地で、埋め立て事業を手立てた当時の安田財閥グループの安田保善社から一文字を拝借して、安浦の地名が付いたと言われる。

安浦の街を歩いていると道すがら銭湯を見つけた。横須賀中央駅前のがやがやした街並みとは一線を画する風景だ。しかし遊郭跡らしきものはまだ見当たらない。

地味な大衆食堂かと思ったら韓国家庭料理の店だった。古くから街に溶け込んでいるかのような佇まいだ。

どうやら遊郭跡があるのは国道16号を挟んで浜側の一帯らしい。国道沿いには商店街らしきアーケードが並んでいるが、見事なシャッター通りと化していて非常に寂しい。

商店街は飲食店やビデオ屋などがちらほら店が開いているが、総じて建物が古く、廃屋同然の姿を晒す箇所も多い。

国道を渡るとその先には安浦神社がある。ここから東側一帯の路地が元安浦遊郭だったと言われる場所だ。

何の変哲もない、古い平屋建ての民家の一角にどう見ても不自然な造形の飲食店風の門構えが残されている。もう遠の昔に店は畳んでしまっているが、いかにもかつては夜の街だったという自己主張をしているかのようだ。

以下、路地に面して古い民家が並ぶ中で昔のカフェー街の面影をバリバリ漂わせる光景が続く。横須賀三遊郭の中で最も隆盛を極めていた安浦遊郭の名残りだ。最盛期には90軒近くの店があったそうだ。

横須賀三遊郭の中では柏木田だけが公娼街であって、ここ安浦と皆ヶ作は私娼街(青線)。戦後は進駐してきた米軍の慰安所としての役割も兼ねて、さぞ賑わっていたそうだ。三遊郭以外でもどぶ板通りなど街の各所で娼婦がたむろしていた。あの「ハマのメリーさん」も若かりし頃は横須賀のどぶ板通りで米兵を相手にしていたという。

一軒のスナック「RICH」の看板に、米兵の慰安所としての安浦の歴史の一端が垣間見える。アメリカンズ・ウエルカム。英語の綴りを間違えて、MがNに修正されている。

散髪屋として使われてきたかのような建物だが、独特の形を持った窓や緑色のタイル貼りが特徴的である。これも遊郭建築だろうか。

元理容室の玄関前を見ると、玄関両脇のすりガラスに「良美軒」と屋号が記されている。

この玄関の様子を見ても、十二分にカフェー街の特徴を匂わせている。

現在は建物が残る以外はただの住宅地で、安浦の地名を隠すかのように京急の駅も名前が変わってしまっている。古い住民にとっては安浦と聞くだけでも顔をしかめるような場所だったという。全くそんな面影はないが。

「明るく住みよい町づくり 安浦3丁目町内会」不思議と遊郭跡の町に来ると、こういう看板が掛かっている事が多い。

横須賀の遊郭の歴史は、横須賀が軍港として開かれる幕末に遡り、横須賀製鉄所の造営にあたったフランス人技師ヴェルニーの要請で、当時の建設工事に従事するフランス人や関係者を慰安するため最初に開設されたという大滝町の公娼街(後に大火で柏木田に移転)に始まり、長い歴史を誇る。

しかし柏木田には殆ど遊郭時代の遺構は残っておらず、同じ私娼街の皆ヶ作も既に取り壊された建物が多いという。横須賀における遊郭で、やはり建物や街並みが最も忠実に残された安浦の存在は外せないのだ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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