お台場「船の科学館」前の岸壁に展示されている2つの船、南極観測船「宗谷」の向かいにあるのは、青函トンネルが開通する前かつて津軽海峡を行き来していた青函連絡船の「羊蹄丸」だ。
羊蹄丸もまた船の科学館の別館と位置づけられていて本館で入館券を買った上で提示する必要がある。1965年から青函トンネルが開通する1988年までの間、青森港と函館港の間を結んでいた船は、1996年以降、第二の人生をお台場の片隅で過ごしている。
この羊蹄丸の船内は「宗谷」とは違ってかなり大胆にごっそり改装されてしまっている。したがって青函連絡船をリアルで利用していた世代にとっては何だこりゃ?状態になる訳だが、現役時代を知らないので何とも言えぬ。ただ青森の県産品をアピールするコーナーがあったりして非常に涙ぐましい。
むしろ「羊蹄丸」は青函連絡船の現役当時の姿を見る為の場所というよりは、これまた船内をごっそりリニューアルして作られた「青函ワールド」なるコーナーがやたら妙チクリンな見所で、これを見ずに帰るのは非常に勿体無い。
青函ワールドで何を展示しているのかと言われると口で説明するより目で見てもらった方が早い。いきなり昭和30年代の青森駅前にタイムスリップしてしまうのだ。ちょっとこれには面食らってしまうだろう。この世代を生きてきた中年以上の青森県人ならはるか昔の情景を思い返してむせび泣く事請け合い。
で、青森駅前にある市場あたりの風景を再現しているのだろうが、魚屋や果物屋のあちらこちらからベタな津軽弁の会話がすっ飛んでくる。確かに「作り物」の情景には違いないのだが、最近流行り気味の似非レトロ的な内装に凝っただけの安っぽさとは一線を画すマジなオーラが漂っている。
さてさて、青森駅と言えば昔も今も有名なりんごだらけの土産用果物屋である。青函ワールド内の市場にも見事に再現されている訳だが、実際に現在の青森駅前を見てしまうと、随分あちらは再開発が進んでうすら寒い風景に変わっていて、ここの風景と対比しても面影が見当たらない。闇市上がりの胡散臭いゾーンも駅南側の古川にある第三新興街というバラック酒場の周辺だけになってしまった。
注目すべきは八百屋や魚屋、はたまたそこらじゅうに居るマネキン達の姿だ。隣の南極観測船の中に居たいかにもな西洋人風マネキンなどではなく、濃密に土着民的な臭いを漂わせるガチな庶民の姿となっている。作り手の本気を感じざるを得ない。
極寒の地で戦後の貧しさを引きずった人々の苦労の顔が垣間見えるかのようだ。寺山修司が表現した下北半島とタメを張れる生臭い土着的な世界がこのお台場の片隅で味わえるなんてね。
狭い店で和服を売る呉服屋の売り子のババアが奥から見える。まるでホラー映画か何かのノリだ。そこに今どきな観光地的な明るさは微塵もない。本州の北の最果てを生きる人々の汗水の臭いがプンプン感じられる、リアルな青森駅前なのである。
駅前には大量の荷物が入ったドタ袋を積んだリアカーを引くババアの姿。青森から北海道へ、生活の為に大量に米を担いで売りに行く「担ぎ屋」と呼ばれる人々が大勢居た。目の前のくすんだコンクリート壁のビルには汚い張り紙に映画のポスター。凄まじい再現度。
極寒の青森で焼き芋を売るおじさんとそれを見る子供。焼き芋が欲しいけどお金がないから食べられない。底知れぬ戦後の「貧しさ」を極限まで表現するとこうなった、と言わんばかりだ。
青函ワールドにある青森駅前の情景は時代考証に凝りに凝って、小道具の製作に至るまで完成に3年の歳月を要したという。つーか凝り過ぎだろ。
そして闇市上がりの市場を抜けると、そこは(昭和30年代の)青森駅だった…
テイチク (2005-12-07)
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