バラック

川崎市川崎区

【リアル川崎国】令和になってもまだ現役!首都圏最大の不法占拠スクワッター地帯、川崎市川崎区「池上町」の最近の様子を見てきた

日本全国の都市部には戦後の混乱期…我々が言うところの“戦後のドサクサ”で建てられた「不法占拠スラム」が数多く存在していた。それも昭和・平成と時代が過ぎる毎に存在自体が消えて無くなったり、公営住宅が整備されるなどして生活環境が改良された地域な...
船橋市

【不法占拠】船橋市南本町44番地「都疎浜」のバラック群が見たくて【疎開の浜】

今から75年以上も前、昭和20(1945)年8月15日に終戦を迎え、GHQの占領下による間接統治が始まり、混乱を窮めた日本社会の敗戦ムード一色の沈んだ空気の下で人々はどん底の生活を強いられる事になる。ある人は戦災で家を亡くし、またある人は家...
横浜市神奈川区

【出川の実家の前】横浜駅徒歩圏の異界「横浜中央卸売市場」前のバラック群がヤバイよヤバイよ

首都圏の「住みたい街ランキング」で相も変わらず上位常連として名が挙がる「横浜駅」…このランキングでよくツッコミを入れられるのは、それが一体横浜駅周辺のどのあたりを指しているのかという事である。しかも「横浜」と聞いて横浜市全体だと早合点して「...
新宿区

【新宿区】新宿駅西口に残る戦後のドサクサゾーン、しょんべん横丁もとい「思い出横丁」(続編)

お陰様で東京DEEP案内も開設から10年の歳月を迎え、サイト初期に訪問していたメジャーな街の鉄板的物件の数々のレポートも些か古くなってしまっている。そんな訳で当方がこれまでの取材活動で訪れた、そういったメジャースポットのレポートを書き足して...
江東区

【江東区】豊洲の隣、幻の1940年東京五輪で生まれたガチ過ぎるコリアタウン「枝川一丁目」の現在

東京ベイエリアのタワマン乱立地帯として名を馳せる江東区「豊洲」から運河一本隔てたお隣の街「枝川一丁目」…ここは昭和15(1940)年、日中戦争の影響で開催中止となった幻の東京五輪を前に、都内一帯のスラム街の住民を立ち退かせて、当時何も無かっ...
川崎市幸区

東芝工場と競馬場厩舎のある街、川崎市幸区小向町にある激レトロ市場「小向マーケット」を見に来た

この所、凶悪少年犯罪の舞台として注目度が俄然急上昇している「川崎国」もとい神奈川県川崎市…多摩川に沿って様々な昭和の情景(主に貧民窟)が残されているこの土地の奥深さたるや、スルメの如く「噛めば噛むほど」味わい深いものがある。
練馬区

東武練馬駅至近、練馬区北町にあるバラック横丁「北町楽天地」がオンボロ過ぎて凄い

東武練馬駅…その駅名を聞いてもいまいちピンと来ない人の方が恐らくは多いのかも知れない。「練馬区」と耳にするとだいたいは西武線方面を思い浮かべるからだ。しかし練馬区の北の境目は東武東上線沿線にまで伸びていて、成増駅の二つ手前にあるのが、この東...
港区

立ち退きで虫の息状態となった芝浦四丁目「高浜橋バラック」の現在の姿をご覧下さい

東京都港区芝浦四丁目、JR田町駅、品川駅、京急泉岳寺駅、どの駅からも徒歩10分以上離れた場所にある「高浜橋」のたもとに、芝浦運河に沿って戦後のドサクサで生まれたバラック村が今日まで生き続けてきた。在日朝鮮人を中心に貧困層がこの土地になだれ込...
千代田区

【現存せず】東京駅至近のド都心にある奇跡の光景!激渋昭和ガード下バラック飲食街「今川小路」

東京駅と神田駅の間に、戦後の闇市時代から殆どその姿を変えずに生き続けるガード下横丁「今川小路」は当サイトでもかなり以前に紹介した事がある。その後「上野東京ライン」こと東北縦貫線計画で今川小路の真上の高架橋が大規模工事を行うこともあって、いよ...
杉並区

杉並区和泉、玉川上水新水路跡の超絶バラック家屋ゾーンは一体何なのか

京王線代田橋駅から甲州街道を挟んだ北側にある杉並区和泉と言えば、沖縄タウン化した激寂れ商店街で知られる「和泉明店街」があったりする場所なのだが、この商店街の近くにとんでもない昭和の残骸が残っているというので様子を見に行く事にした。