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【新宿区】新宿駅西口に残る戦後のドサクサゾーン、しょんべん横丁もとい「思い出横丁」(続編)

お陰様で東京DEEP案内も開設から10年の歳月を迎え、サイト初期に訪問していたメジャーな街の鉄板的物件の数々のレポートも些か古くなってしまっている。そんな訳で当方がこれまでの取材活動で訪れた、そういったメジャースポットのレポートを書き足していきたいと思う。

という訳で再びやってきたのが新宿駅西口の一等地に未だに存在し続けている奇跡のバラック呑み屋街「思い出横丁」。ここは2009年に書いたレポートを掲載しているが、それから9年も経ってしまっている。かつては呑助の撒き散らす小便の臭いがキツかった事から“しょんべん横丁”という有難くない愛称もあったが、現在はこちらの名称にほぼ統一されている。

過去には火事で一部が焼失したり場所柄いつ無くなってもおかしくない雰囲気があったが、結局なんだかんだあって、この日本最大級の繁華街における唯一無二の空間という事で逆に国内外から有難がられ、海外からの観光客の撮影スポットとしても人気が高い。

いつの間にか外国人の姉ちゃんが外国人観光客をもてなす赤提灯の酒場ばかりになった

青梅街道の新宿大ガードからユニクロ新宿西口店などが入るパレットビルまでの間の猫の額ほどしかない土地に夥しい数の赤提灯の酒場が密集している独特の光景。こういう場所は東京広しと言えども渋谷ののんべい横丁、吉祥寺のハモニカ横丁といった同じ駅前一等地の戦後ドサクサ系横丁のそれとは規模も密度も全く違う。

しかしここ数年は増加の一途を辿る外国人観光客にとって「日本的な情緒を味わえる場所」として新宿西口思い出横丁が超絶メジャー物件として認知され、仕事帰りのサラリーマンと同じくらいカメラを手にした外国人の姿をよく目にする。戦後の闇市上がりという呑み屋街の性質から長らく玄人向けの飲食街だったはずだが、今となっては単なる観光地である。

本来なら新宿に都庁を置く行政の身からすれば、首都東京の顔でもあるこの場所にバラック呑み屋街なんかは目障りな「目の上のたんこぶ」で、いい加減再開発で取り壊したいつもりだったのだろうが、ここまで外国人に人気になってしまえば、もう観光資源として徹底的に活かした方が正解、という事になる。

終戦直後の昭和21(1946)年から闇市として成立したこの界隈、当時統制品ではなかったアメリカ進駐軍が日本に持ち込んだ牛や豚のモツを使ったもつ焼き酒場が増えだし、その名残りとして今の思い出横丁も「もつ焼き」「やきとり」を扱う酒場が多い。この地に60年、65年といった古株の酒場も普通にゴロゴロとある。

今も夕時になると連日のように各々のマッチ箱ほどしかない酒場のカウンター席がスーツを着たサラリーマンの姿でいっぱいになる。東京(特に山の手側)にはありがちな「お通し代」という無粋な習慣も、ここ思い出横丁にある古株酒場では一切取っていないという店が多い。新宿西口でお安く飲み食いできるサラリーマンのオアシス、というのが基本中の基本である。

しかし一方で目立つのが、店子として焼き鳥やもつ煮番をしていたりする店員が中国人か東南アジアか知らんが揃って外国人女性で、しきりに通り掛かる客に声掛けをする店舗も多い件。日本的な情緒に満ちた場所なのに、酒を注ぐのも受けるのもみんな外国人という珍妙な光景も珍しくなくなった。

そのためもあってか、ある店先にはガラス扉の全面に目立つように日本国旗のマークを描いては「日本人のみで64年経営しております」と断り書きがしてある酒場まで見られる。「戦後のカオス」を具現化した新宿西口一等地の奇跡の呑み屋街は、「異国文化」というまた別のカオスを取り込もうとしているかのようだ。

もつ焼き・やきとり以外の「思い出横丁」…容赦ない閉店ラッシュが襲う

もつ焼きとやきとりが「思い出横丁」の肝となる戦後生まれのソウルフードな訳であるが、別にそれだけが思い出横丁ではない。「バカはうまいよ」のフレーズでおなじみ貧乏サラリーマン御用達「つるかめ食堂」隣の「やぶ天食堂」も650円からお安く食える魚定食系メニューが中心に揃うサラリーマンの飯処。アルコールは一切置いてません!しかし残念ながら2017年3月に閉店してしまった。68年間の歴史があったそうですが、あっけなく閉店。

定食系の店もあればラーメン・焼きそば・餃子で勝負する老舗の激安中華屋もある。「若月」というこちらのラーメン屋、昭和23(1948)年から続く最古参ラーメン屋だが、ここも2018年1月に閉店している。「いつまでも昔のまんま」というイメージが強い思い出横丁も老舗店舗の数々が淘汰の波に晒されている。

豚の金玉の刺身だの何だのゲテモノ料理を扱う酒場として名高い「朝起」(あさだち)もこの窮屈極まりない思い出横丁の路地裏に店を構えている。いつ店の前を見ても満席御礼。ゲテモノ抜きにしても牛や豚の内臓系メニューが多いというのもこの場所ならではの特徴か。

あとは路地裏の中程のカクンと曲がりくねった角地にカウンター席を構える鰻串焼きの老舗酒場「カブト」も超絶有名物件の一つ。メニューはおまかせ7本鰻串焼き「一通り」のみ。

Lonely Planet Tokyo

ところでこちら鰻串焼きカブト、あまりにメジャー過ぎて「ロンプラ」の表紙を飾るほどの存在となっておりますが…

とりあえず思い出横丁初心者でも入りやすい店と言えばこちら「岐阜屋」であろうか。ラーメンや中華料理が出る店だが、この界隈では最も“大箱”と呼べる客席の多さで、大抵待たずに入れる。カウンター席の中で働く従業員は漏れなく中国人か東南アジア系。常連っぽいスーツのオヤジもいれば行楽帰りかと思えるフツーの家族連れ、外国人客も混じっていて客層の闇鍋ぶりが容赦ない。

朝9時から開いていて、夜勤帰りの朝酒とラーメンも容赦なく頂けるというのがこの店の特徴。色々オーダーしたが酔っぱらい過ぎて何を食ったか覚えていない。ただこういう特殊な場所では隣に居合わせたどこの誰とも分からない客と何の拍子もなく会話しだしたりする。「東京は人が冷たい」と言っていたのはどこの誰だ、と言いたくなる、そんな雰囲気のある店である。

あまり登る機会もないと思われる、思い出横丁にある酒場の「お二階」への階段のエクストリームっぷりよ。東上野のキムチ横丁にある東京苑だか何だかの焼肉屋の階段も結構クルものがあったが、ここは恐らくそれ以上の「闇市上がり」っぷり。昭和遺産とは気軽に申しますが、やはりドメジャー級の「思い出横丁」のそれは別格であるとしか言いようがない。

神田の今川小路も消えてしまったし、立石の呑んべ横丁も再開発で解体される事が決まっている中、今の東京でこれだけの雰囲気を残した酒場も数限られている。平成の時代が来年で終わろうとも、建物が寿命を迎えるまでは全力で保存して頂きたい。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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