元スラム

新宿区

【天国と地獄】四ツ谷駅近く、赤坂御所のすぐ隣にあったスラム街「四谷鮫河橋谷町」とは何だ

今回お届けするお話は東京のド都心、四谷界隈…令和改元を迎える直前の2019年4月末、おめでたムード一色に染まっている中でやってきたのは元赤坂の迎賓館や赤坂御所といったロイヤル感満載の地域である。間近に開催される予定の東京五輪を目前に新たに即...
横浜市南区

【ハマの貧民窟】京急でビュンと行けるド下町「横浜市南区」の本気を知れ

2017年に「首都圏住みたくない街」(駒草出版)を上梓した当編集部のこれまでの経験上、首都圏広しと言えどもここは絶対に住みたくねぇなと言いたい地域はあの本に書いた以上にまだまだ存在している。足立区とか江戸川区とか埼玉とか何度もしつこくネタに...
台東区

【東京一の激狭住宅地?】西浅草の寺町の隙間にひっそり存在する超絶狭小長屋密集地

広い東京の中で「下町の中の下町」と呼べるのは、やはり浅草や吉原、ドヤ街山谷を有する台東区に他ならず、いくら街が小綺麗になろうとも小洒落た店が出来るとも、この地域が根っこの部分で変わる事など一切ない。街並みだって、人の目につく場所に限っては随...
江東区

【江東区】豊洲の隣、幻の1940年東京五輪で生まれたガチ過ぎるコリアタウン「枝川一丁目」の現在

東京ベイエリアのタワマン乱立地帯として名を馳せる江東区「豊洲」から運河一本隔てたお隣の街「枝川一丁目」…ここは昭和15(1940)年、日中戦争の影響で開催中止となった幻の東京五輪を前に、都内一帯のスラム街の住民を立ち退かせて、当時何も無かっ...
板橋区

【東京にもある縁切り神社】板橋宿の裏名所!「縁切榎」の絵馬に人の業の深さを見た

板橋本町商店街の一画に「縁切榎」という物騒な名前の樹が立っている。この樹の下を嫁入り行列が通ると必ず縁が切れてしまうという言い伝えが広まり、江戸時代から悪縁切りのまじないが行われてきた「ある筋」の方々には非常に有名な場所。
横浜市南区

横浜貧民街の系譜・吉田新田鎮守日枝神社

南太田にあったと言われる関東最大級の貧民窟「乞食谷戸」の存在。今ではその名残りも無く寂れた商店街が残っているだけになっている。別の意味で悲壮感が漂っていてなんともいたたまれない気持ちにならなくもない。 今度は南太田駅前のドンドン商店街から...
横浜市南区

【横浜市】知られざるハマの貧民窟!南区南太田の旧スラム「乞食谷戸」跡地を歩く (2010年)

日ノ出町や黄金町など横浜でもかなりDEEPな街を通り抜ける京急沿線、黄金町駅のもう一つ先に南太田という駅がある。
新宿区

東京最大のスラム・四谷鮫河橋谷町があった街…新宿区「若葉・南元町」 (2010年)

今で言う所の新宿区若葉二丁目、三丁目、南元町一帯はかつて「鮫河橋」という地名で呼ばれていた場所だ。大きく切り込んだ谷戸地が南側から伸びていて、谷底には鄙びた下町の商店街、その両側を寺町で覆い尽くされた、一見すると独特な空間だ。 この鮫河橋、...
板橋区

板橋区大谷口上町・日大病院裏手にあった谷底バラック村

板橋の土地は武蔵野台地の北端にあたり、急斜面や「谷戸」と呼ばれる窪地が多く残っている。台地が侵食されて出来た地形で、窪地の底は当然水はけも悪く、住宅を建てるには適さない。普通ならば家を建てる事はしなかったというが、戦後の非常時における住宅不...
江東区

江東区枝川一丁目 コリアタウンと都営住宅(2009年)

ブランドネーム重視で無理矢理豊洲エリアにされてしまった、豊洲運河の向こうにある「枝川一丁目」を訪問。そこは井筒監督「パッチギ!」の舞台ともなったオールドコリアタウン。今も朝鮮学校が残る。
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