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【江東区】豊洲の隣、幻の1940年東京五輪で生まれたガチ過ぎるコリアタウン「枝川一丁目」の現在

東京ベイエリアのタワマン乱立地帯として名を馳せる江東区「豊洲」から運河一本隔てたお隣の街「枝川一丁目」…ここは昭和15(1940)年、日中戦争の影響で開催中止となった幻の東京五輪を前に、都内一帯のスラム街の住民を立ち退かせて、当時何も無かった「5号埋立地」と称していた当地に集団移住させて以来の歴史を誇る、古いコリアタウンとして知られている。

この枝川一丁目、2009年に一度訪れてレポートにしているのだが、ネタがいい加減古くなってしまったのと、前回のレポでは伝えきれていなかった部分が大きく残っていたので、久方ぶりの再訪となった。豊洲駅から徒歩10分。タワマン成金ゾーンと化した豊洲エリアの一部であるが、運河に架かる朝凪橋を渡った先はまるで雰囲気が違う。

枝川一丁目に非常に多い高層都営住宅。中国人世帯も増えてきている

朝凪橋を渡ってすぐの一帯は、枝川一丁目の中でも駅に近い事もあって民間分譲マンションがちらほら建ってもいるが、やはりメインとなるのが都営住宅の高層団地ばかりである。「都営枝川一丁目第二アパート15号棟」がそびえる枝川一丁目交差点角にある「あさなぎ公園」も遊んでいるのは中国人やフィリピン人の子供ばかりだった。

タワマン乱立地帯と化す豊洲やここ枝川、さらに塩浜といった地域を見てみると、都営住宅が非常に多い事に気がつくはずだ。最初は何も無い埋立地だったところに、当時の東京市が簡易住宅を建てたのが始まりだ。そこに多く暮らしたのが、都内一帯のスラム街から集められた、約千人もの在日朝鮮人である。

だがその時代から80年近くが建ち、当初の簡易住宅の殆どが姿を消し、都営住宅としてその体裁を変え、住民の多くは在日社会とは無関係な外からの住民ばかりで、またそうした住民が高齢化して、道を歩く通行人もみな杖や手押し車を手に添えて歩く爺さん婆さんばかりという日常風景が見られる。辰巳の都営住宅とかと似たような感じですね。

都営住宅の下層階にはそうした高齢者住民を対象とした「枝川高齢者在宅サービスセンター」といった施設もあり、完全に「福祉の街」としての様相を呈している。タワマンバブルに湧く隣の豊洲とは真逆の世界が広がっている。

豊洲運河越しに枝川一丁目の都営住宅群を眺めると、例の巨大パラボラアンテナをベランダに設置しているお宅が何軒も増えている。豊洲も最近中国人がやたらと増えていて、それはてっきりタワマンの一室を所有する富裕層の中国人ばかりかと思っていたがそうとは限らないようだ。都営住宅の住民もチャイナ化が進んでいる事がわかる。

そして街中の電柱に「建設業下請け」の野良求人広告を勝手に貼り付ける業者がいたりして、西成や山谷かよとツッコミを入れたくなる光景も。いくらタワマンマダムがオホホザーマスとか言ってようが、豊洲エリアは初めからドカチン仕様の街なんです。

枝川一丁目から韓国系店舗が減りつつある

前回枝川一丁目を訪れた時と比べると、韓国食材店や焼肉屋がやたらと減ってしまっているのに気がついた。枝川のコリアタウンは非常にその区域が狭い。駅前でもないこの土地は商売には向かず、次々と店じまいをする店が後を絶たない。せいぜい現役なのは「焼肉トマトハウス」「4ひきのこぶた」「焼肉大喜」「南大門」の四軒である。

以前たまたま入った焼肉屋「みゆきや」も現存しない。自家製「開城高麗人参サワー」をウリにしていた北朝鮮テイストあふれる店舗だったが、他の場所に移転したという話も聞かない。やはり朝鮮学校もあるくらいだし、井筒監督の映画「パッチギ!LOVE&PEACE」の舞台にもなるような街だし、枝川の在日コリアンは「北」寄りなんでしょうな。

以前、東京朝鮮第二初級学校の裏手にあった「コリア物産」もいつの間にか店じまいして、建物も無くなり跡地はコインパーキングに変わっていた。コリアタウンとして新大久保や三河島、西新井くらいは一般的には知られても、枝川という土地には誰も見向きしない。去年1月に放送されたアド街豊洲特集でも枝川には全くスポットが当てられず、まるで「存在しない街」扱いである。

「枝川愛の教会」付近にあった路地裏の名も無き韓国食材店も、やはりいつの間にか姿を消してしまっていた。この地域もやはり高齢化が激しく、店主が引退してそのまま無くなってしまうケースも多いのだろう。この在日コリアン系キリスト教会も近年では枝川地域のオールドカマーに限らず、戦後にやってきたニューカマー韓国人が増えているという話もある。

壮絶バラック建築が現存する枝川一丁目の本気

枝川一丁目の南半分は奇跡的に戦災を免れている。そのためか、昭和15(1940)年に旧東京市が建設した簡易住宅やその後「戦後のドサクサ」的に建てられたバラック小屋なんかが未だに残っている箇所が存在する。それも狭い狭い路地裏に、隠れるように建ち続けているのである。

戦災を免れた事で、戦後の枝川一丁目には周辺地域から焼け出されるなどして住居に困窮していた在日朝鮮人がさらに集まるようになり、住宅地どころか都有地である道路上にまでバラックを建てて不法占拠する状況にもなった。終戦直後のこの地域のカオスっぷりと言えば「枝川事件」(昭和24年)として名を残す程に荒んでいた。

枝川コリアタウン発足当時から残る貴重な「旧枝川町簡易住宅」とみられる建物

そんな今の枝川一丁目でも真打ちとも呼べる建物が、町の南端部にちょこんとある児童公園の脇に今も残っている。サビサビぶりが容赦ないボロボロのトタン壁で覆われた二階建ての木造建築物。実はこれ、枝川コリアタウン発足当時に旧東京市が建設したという「旧枝川町簡易住宅」の生き残りではないかとみられる建物だ。

児童公園に面して、同じ大きさの二階建て木造建築物が二棟残っているのだが、当初はこのような簡易住宅が20棟あまり建てられ、周辺の塩崎町・浜園町(現・江東区塩浜)はじめ都内一帯に住んでいた在日朝鮮人を強制的に移住させたとしている。終戦直後の昭和22(1947)年に米軍が撮影した古い航空写真で現地を見ると、同じ場所に同じ建物が視認できる。

もはや使う人間も殆どいなくなった、バラック住宅の共同洗い場を囲うボロボロのトタン壁にはここぞとばかりに貼り付けられた公明党・共産党ポスターの数々が、またこの建物に味わい深い彩りを添えている。

その中をちらっと覗いてみると、未だに漂う「昭和の生活感」…粗末なコンクリート造りの流し台には既に水気もなく長年使われている形跡もない。我々は2009年、2012年に同じ場所を訪れているが、その時はこの洗い場も使われていたし、二階の窓に明かりも付いていて、住民の存在を確認している。

長屋の中央廊下は通り抜け可能な状態となっていて、内部で一階と二階に分かれ、数十世帯が共同生活が出来る造りになっている事が分かる。だが今となってはその多くが空き家だ。人の営みはもはや感じられない。

二棟残る、旧簡易住宅と思しき長屋の間の路地。長屋は一部が居住者自らが戸建住宅に建て替えていて、新築部分が長屋と一体化するなど不思議な造りになっていたが、どのお宅の表札も概ね在日コリアンの姓である。非常に小さな地域だが、これだけ濃密なコリアタウンは都内広しと言えどもそうそう他に見られるものではない。

「朝日児童遊園」…地元住民は「チョウニチ公園」と呼ぶ

そんな長屋に面する児童公園…ここも「朝日児童遊園」という名称なのだが、一見すると何の変哲も無い公園でしかない。だがこの土地にもしっかりと歴史というものがある。枝川コリアタウン発足当時、何も無かった埋立地で、せいぜいゴミ焼却場くらいしかなかった当地には長年上下水道の普及が行われず、今のように地下鉄も無かった頃は陸の孤島とも言える立地にあり、劣悪な住環境で暮らしていたという。

この場所もかつては上水道が各戸に引かれていなかった頃に住民達が共同で使っていた洗い場だったものが昭和40年代に公園として整備されたものだ。地元住民は朝鮮と日本の友好を願って「朝日(チョウニチ)公園」と呼んでいるらしい。アサヒじゃなくてチョウニチだったのか…

生徒数が激減している東京朝鮮第二初級学校

枝川一丁目に今も校舎を構える「東京朝鮮第二初級学校」。言うまでもなくここも朝鮮総連傘下の東京朝鮮学園が運営する「各種学校」である。

枝川への朝鮮人強制移住という歴史的経緯から、革新都政だった美濃部知事時代から20年間の期限付き契約で都有地が無償貸与されていたが、期限切れ後も都側はズルズルと賃料を請求することなく「不法占拠」状態となり、2003年になって地元住民の住民監査請求を受け、ようやく重い腰を上げた都側が土地の明け渡しを求め訴訟を起こした事で知られる。(2007年に和解成立)

建物は2010年に建て替えられ真新しい校舎となっているが、都からの訴訟の結果払う事になった1億7000万の土地代を含め結構なお金が掛かっているはずであるにも関わらず、朝鮮学校の生徒数は激減、現在は30人程度に落ち込んでいるとされる。

枝川のコリアタウンはここ数年で急速に勢いを失った感すらある。その歴史を知る当初の住民もいずれは居なくなる。今後この街はどう変わっていくのだろうか。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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