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江東区東陽町に吉原に次ぐ東京第二の遊郭があった…赤線地帯・洲崎パラダイスの街「深川洲崎弁天町」を歩く(2010年) 

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昭和33(1958)年の法律施行まで日本各地に存在した「赤線地帯」。それは吉原や真金町のように江戸時代から続く遊郭の成れの果てであったり、玉の井や鳩の街のように戦後になって私娼窟を特例的に営業を許してきた場所であったりと様々である。 東京の遊郭と言えば吉原が最も規模が大きいが、吉原に匹敵する程の巨大な遊郭があったのが今の住所で言う江東区東陽一丁目、昔の地名で言うと「深川洲崎弁天町」という場所だ。

洲崎遊郭の成り立ちは、明治20(1887)年に帝国大学校舎を新築するために当時存在した根津遊郭を風紀上の理由で立ち退かせて、東京湾を埋立て作られた洲崎の土地に翌年明治21(1888)年に移転させたのが始まりと言われる。 最盛期の大正末期には300店舗が立ち並んでいたといい、吉原に匹敵する規模だった。洲崎遊郭は戦時中に空襲により壊滅してしまうが、戦後は土地の東半分だけが「洲崎パラダイス」として復興し、赤線廃止までの13年間、栄華を極めていた。そんな「洲崎遊郭跡」への最寄りは地下鉄東西線木場駅の2番出口。

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