【事件現場】ルーシー・ブラックマンさん事件の舞台・三崎町「油壺海岸」を歩く

三浦市

三浦半島の先端を往く小旅行、最後に訪れたのは京急がリゾート地として開発しまくっている油壺海岸の端、浜諸磯という相模湾に面した集落だ。我々は三崎港のバス停から浜諸磯行きのバスに乗って、終点で降りた。

油壺の南側に隣接する浜諸磯集落から、海岸沿いに油壺まで歩いていこうというコースだ。その途中には「ルーシー・ブラックマンさん事件」において、変わり果てた被害者が発見された洞窟がある。マスコミをあれだけ騒がせた事件の舞台だが、訪れてみると実に牧歌的な漁村といった感じの場所だ。

ここから三崎口駅に行けるバスは1時間に1本しか走っていない。タイミングを逃すと2キロ歩いてバスが頻繁に走る三崎街道まで歩く他なくなる。さすがにここまで来たら田舎です。

浜諸磯の海岸沿いにやってくると磯の香りが漂ってくる。その臭いの元は大量に干されたワカメだった。風に煽られてはためくワカメの大群。昔ながらの営みが続いている。

傍らには地元の爺さんが黙々と干したワカメを並べて束にする作業を続けている。田圃仕事と同じで地道なものである。

何の変哲もない田舎の漁村である浜諸磯集落を出て、油壺海岸の岩場に沿って例の事件現場の様子を見に行く事にした。

浜諸磯港は岸壁が一部崩落してなんだかヤバイ状態のまま放置されている。漁民や釣り人もいればマリーナや別荘地で優雅なひと時を過ごす成金趣味者もいるような場所だ。

急峻な丘陵地帯が続く三浦半島と言えば洞窟が多く、戦時中に軍事目的で掘られた洞窟要塞が数多く人知れず隠れている。

浜諸磯港から見える海は広大な相模湾。晴れた日には熱海辺りも見えるはずだ。ここでも岸壁が崩落しまくっている。

コンクリート護岸の浜諸磯港から岩肌剥き出しの油壺海岸へ足を踏み入れる。潮が引いている時間帯であれば特別な靴や装備も必要なく歩き回れる。

岩肌を恐る恐る歩いて行くと、程なくプライベートビーチではないが全く人っ気のない砂浜が広がる場所に出る。具体的な位置を示すと、偶然なのかよくわからないが海岸の上の丘に創価学会の施設が建っている場所だ。この海岸沿いに例の洞窟はある。

目の前には相模湾から大きく入り組んで、油壺湾と諸磯湾が形成されている。油壺京急マリーナなどがあって、リッチな方々がヨットを浮かべているような世間離れした空間が広がっているのだ。この場所で2000年7月にルーシー・ブラックマンさん事件があった。その凄惨な手口と犯人の特殊性にマスコミ各社が大騒ぎした事は記憶に新しい。諸磯湾近くの油壺海岸に被害者が発見された洞窟がある。

小さな砂浜の奥にその洞窟はこっそりと存在する。洞窟というかむしろ小さなほら穴程度しかない、岩場の隙間に出来た空洞とも言うような空間だ。

現場は人が何人か入り込むと一杯一杯になってしまいそうな程狭いほら穴でしかない。この洞窟には今も遺族が度々訪れて献花を絶やさずにいるそうだ。異国の地で命を落とした女性に哀悼の意を捧げたい。

犯人の織原城二は大阪市出身でタクシーや不動産業、パチンコ屋で財を成した在日韓国人一家の元に生まれ、日本に帰化したという事実が、被害者の母国であるイギリスのBBCを含め海外のメディアには報じられているが、日本のメディアはこの事に関しては全く触れもしない。日本における「在日タブー」の強さが垣間見える事件だが、今回はひとまずこの洞窟の様子を見ておきたかっただけだ。

洞窟がある近くの岩壁を見ると、丘の上に上がる為に掘り抜かれたと思われる歪な階段が続いている。この先は私有地になっているようだ。

この洞窟から犯人が借りていたリゾートマンションは至近距離にある。こんな足場を行き来して夜な夜な「処理作業」を続けていたのだ。

洞窟から100メートルくらい歩くと、5階建てのリゾートマンションの建物が姿を現す。犯人はこの場所で凶行に走った。

奇しくも被害者のファーストネームにそっくりな名前のリゾートマンション「ブルーシー油壺」。ここの401号室が犯人の所有する一室だった。しかし時は無常なもので、昔この場所でどんな出来事があったか知ってか知らずか、すぐそばでは親子連れが無邪気に釣りに興じていた。

大きく入り組んだ諸磯湾の中は波も立たず穏やかな海面に、沢山のヨットが係留されている。油壺もそうだが、葉山とか逗子とか、三浦半島の西側は金持ち趣味の世界が繰り広げられていて景色を見る度に息を呑んでしまう。

そんなマリーナを尻目に引き続きワカメが干されている光景を目にする。一つ一つ、洗濯ばさみで丁寧に挟み込んでいる。

諸磯湾の奥にも漁船が数隻と釣り道具などを収納する古い倉庫がある。油壺あたりは殆ど富裕層のリゾート地となっている場所だが、地味に漁村も残っているのだ。

ふと丘の上に目をやると、そこにはリゾート別荘地として山が削られて開発されまくっている光景が拝める。生粋の貧民育ちの東京DEEP案内取材班には一生縁の無さそうな土地であります。


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