東京駅と神田駅の間に、戦後の闇市時代から殆どその姿を変えずに生き続けるガード下横丁「今川小路」は当サイトでもかなり以前に紹介した事がある。その後「上野東京ライン」こと東北縦貫線計画で今川小路の真上の高架橋が大規模工事を行うこともあって、いよいよ解体されるかも…という噂もあったのだが、どうやらまだ残っているらしい。
…というわけで、またまた戦後の残照を求めて我々は神田駅から東京駅寄りに少し歩いたところにある「今川小路」の現況確認にやってきたのだ。このガード下、「白幡橋高架橋」という正式名称があるのだが、現在の住所は千代田区鍛冶町と中央区日本橋本石町に分かれている。
今川小路がある場所は神田駅南口から2~3分も歩かない東京駅寄りの一角。ホテルメイン神田という新し目なビジホが建ってますんでそこと線路沿いの間の細い路地を進みましょう。
神田駅付近もJRの高架橋工事なんかもあってだいぶ風景が変わりつつあるけど、ところがどっこい今川小路はというと…なんとまだ残っているではありませんか。東北縦貫線のせいで「立ち退き」にはならなかったらしい。まさに奇跡!
明らかに戦後のドサクサで出来た飲食街、残っている建物もおおよそ昭和30年代までに建てられた粗末な住居兼店舗ばかりである。
ガード下に完全に収まっているボロ長屋も、その半分くらいが廃屋同然になっているが、まだちょいちょいと居酒屋営業している店舗もあるし、住民の自転車まで置かれてある。
ド都心の一等地もいい所にこのような佇まいのバラック横丁が残っているのは、何度見ても奇跡だとしか言えない。なんかちょっと前にもNHKの連ドラ「あまちゃん」でロケ地に使ったらしいんですが…見てないので知りませんでした。
残っている居酒屋の建物を見ると、建物外観の柱にピンク色の豆タイルがびっしり使われているあたりも凄く「戦後」っぽくていいですね。
昼間来てもひっそり静まり返っているだけだが、神田と言えばオッサンパラダイスでバリバリなオフィス街。夜ともなると、それなりに酔客で賑わうようである。
確かにこの上には生活している人もいるみたいだし、ましてやこんな粗末なバラック長屋で、頭上をひっきりなしに行き来する通勤電車の騒音がダイレクトに来たりしないんでしょうか…山手線、京浜東北線、中央線、東北・上越新幹線、いっぱい走ってますよ?
二階部分が大きく前にせりだした住居兼店舗の造りも、戦後の盛り場建築でよく見かける「土地の有効活用」の典型例。丸い飾り窓がイカス。
解体された家の「貸付財産票」には在日コリアン系なお方の氏名が書かれていたりしたのもリアルでした。東日本旅客鉄道株式会社の表記がある通り、現在この土地はJR東日本が特例的にバラックの商店主達に貸し付けている状態になっている。
建物横手の壁に残る「麻雀 五月荘 コノ奥」の字。胡散臭い路地裏横丁には雀荘がお似合いですが、いつの時代にあった店なのかもう分からんですよ。
場末感もたいがいな横丁であるが「呑ん兵衛 神田(じんた)」辺りは食べログ(笑)にも口コミ登録されているような店だし、神田ならではのいかがわしげな店は見た所はないようだ。
そう言えばこのような場所にありがちな「共同トイレ」が見当たらないのが気になる所。今川小路で呑む人はどこでトイレを済ませているのだろうか…と思ったが、各店舗のトイレを借りているらしい。店舗の住民と共用ですかねやっぱり。
これでも、我々が最初に今川小路を見に来た2009年と比べるといくらか建物が無くなっている。特に東北縦貫線の高架橋を建設するガードの東側の建物なんかが無くなった訳だが、まだ8割くらいは残っている印象。
それどころかガード下バラックが解体された跡に新しくプレハブ小屋が建っていたりするのだから凄い。明らかに飲食店舗向けの設計で建てられたもので、今川小路は世代交代しながらも続行するつもり満々なのでしょうか。その割には空き店舗のままだが…
来年からはこの今川小路の上をさらにもう一本、上野と東京を結び東海道線や宇都宮線・高崎線・常磐線が直通運転する「上野東京ライン」が開通、行き来する電車の数がもっと増える予定だ。日本最大の大都市圏の公共交通をカバーする鉄道網のその下に、こんな昭和な風景は今後も生き続けるようだ。
<追記>「今川小路」にあったオンボロ酒場の建物群は2017年9月末に閉鎖され、解体されて無くなりました。