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【韓国面と暗黒面】ドヤと街娼、連れ込み旅館の街!「新大久保」の裏の姿をご覧下さい

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新大久保駅前から南北に伸びる山手線の線路沿いには、かつて新大久保が日雇い労働者の街であった頃の名残りがかすかに残っている。

駅前の大久保通りを渡って北側へ。ラーメン屋とロッテリアの間から線路沿いに伸びる路地へ入るといきなり駅前とは思えない荒廃した光景が見えてくる。

ちなみに韓国企業のファーストフード店、ロッテリアがあるというのもコリアタウン新大久保らしい伏線である。

ちょっと路地に入るといきなりこんな空き地だらけのヤバイ光景が目に入る。山手線東側の線路沿いでは延々と道路用地として確保された空き地がもう何年もそのまま放置されている。用地買収に手こずっていて計画がなかなか進まないのも戦後のドサクサで土地の権利関係がぐちゃぐちゃになっているからだという。

線路沿いの賃貸アパートの軒先には入居者募集中の張り紙。「まじめな外国人もOKです」の一文に笑ってしまった。真面目じゃない外国人も多いという事ですかそれ。

この陰鬱極まりない線路沿いの路地に未だに日雇い労働者用の簡易宿泊所がそのまま現役で残っているような「新大久保ハウス」というベタな名前の施設が存在する。昭和の高度経済成長の時代には山谷だけでなく新大久保もドヤ街として機能していた時期もあったのだ。

さらに鉄柵で封鎖された空き地を挟んだ向かいには巨大なハングル文字の看板が印象的な韓国系キリスト教会の建物が蔦だらけの状態で佇んでいる。

その背後にはキリスト教会よりも巨大な看板を掲げるロッテ新宿工場の建物が立ちはだかっている。ロッテは戦後在日実業家が興した日本生まれの韓国企業。その原点はここ東京・新大久保にあるのだ。

食糧難が深刻だった戦後間近の時期に出来たロッテの工場では三食賄い付きの住み込み寮を完備し、韓国から研修生を受け入れたのが新大久保コリアタウンの成り立ちだったという話もある(→詳細

今や日本最大のコリアタウンとなった新大久保という街のど真ん中にあるロッテ。戦後史をそのまんま物語っているかのような工場の存在に何とも因果なものを見せつけられた気分だ。

今度は大久保通りを跨いで南側へ歩いて行く。ここも同様に道路用地として放置されたままの土地が細長く続いている。見通しが良いので新宿付近の超高層ビル群が広々と見渡せる開放的な土地なのが皮肉。

ここも空き地を挟んだ向こうに韓国料理屋や韓国人向けの日本語学校などが軒を連ねている。

この付近、今では空き地が目立つ空虚な場所となってはいるが、昔は「彦左小路」という二軒長屋の古びた飲み屋街が存在していた。日雇い労働者を相手にするような安飲み屋や、青線の名残りで続いていた怪しい飲食街が並んでいたというが、7、8年前くらいに建物が取り壊され面影はもうない。

彦左小路の建物は消えたが隣には「おとめ荘 宿泊」の立て看板が残る一角がある。当時の風情を辛うじて残しているのはここだけ。奥の平屋建ての古びた民家が「おとめ荘」だったのだろうか。

見るも無残な空き地だらけの空間の向こうには先程訪れた怪しい連れ込み旅館が並ぶ長光寺西側の路地となっている。

彦左小路の残骸を過ぎると僅かな下り坂の後に職安通りと合流する。西武新宿駅が目の前に見える。大歓楽街に隣接してこんな不気味な路地が残っているというのが不思議でしょうがない。

さらに路地の出口手前に残る民家と思われる敷地もかなり気味の悪い廃墟となっている。頑丈に封鎖された玄関口が禍々しい。そしてこんな場所に幸福実現党ポスター。場所柄弁えてなさすぎで笑える。

ある意味、昔の新大久保の薄暗さが最も色濃く残された場所である事は間違いない。道路用地が確保された暁には全て取り壊され味気ない目新しい道路となってしまうはずだろう。見るなら今のうちだ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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