新大久保はひたすらコリアタウンだとばかり思われて、他の部分にあまり目が行かなかったりする。この街の多面性を知らずにいるままでは非常にもったいない。この街には「韓国面」と「暗黒面」がある。
新大久保が今日のようにド派手なコリアタウンとなったのは10年か20年そこそこ前からの話で、それまでは陰鬱な空気を漂わせる日雇い労働者の街、ラブホテルが密集し街娼が徘徊するピンクタウンだった。そして、この街の陰鬱さは現在も根を下ろししっかりと生きている。コリアタウン以外の新大久保に着目して、この街をもう一度探索しようと思う。
大久保通りから職安通りへ抜ける路地に入ると、だいたいどこの道にもラブホテルが何軒か並んでいるのが見える。
殆どのホテルが、隣の歌舞伎町二丁目のラブホテル街にあるようなファッショナブルな作りをしていることは皆無で、どこか古臭さを漂わせるのがポイント。そして料金も結構お安め。
しばらく路地を進むと、まるで地方の場末の温泉街かよと思うような古びたネオンサインの「ホテル光泉」が見える。ラブホテルというよりも「連れ込み旅館」という言葉がしっくり来るような古い物件がゴロゴロ転がっているのが新大久保クオリティ。
「豪華王朝風」という大袈裟なキャッチフレーズに笑ってしまったが、営業している様子はなく玄関は閉ざされている。休業日?
しかしもっと笑えるのが玄関先の注意書き。
「この付近で客引行為をしている外国人女性との入店はお断り申し上げます。」
新大久保と言えば鶯谷と並ぶ娼婦の街。昔から警察沙汰に巻き込まれるトラブルがあってホテル側も頭を抱えているのだろう。街の暗部を垣間見せる貴重な物証だ。
路地を中程まで進むと、狭い路地の隙間に長光寺という小さな寺の墓地と、北向観世音菩薩が見える。細長い路地の区画に沿って細長い墓地となっているのが新大久保らしいが、この長光寺と金龍禅寺の2つの寺の墓地周辺にラブホテルが密集しているのだ。
ちなみに日本全国津々浦々、なぜかラブホテルが墓地の近くにあるのはジンクスとか験担ぎといったレベルの話らしい。嫌悪施設同士で仲良くやっているだけのような気がしなくもないが。
長光寺墓地の東側にある「西大久保公園」。ここも場所柄ホームレスや街娼がたむろする怪しい公園で、そのためか公園の周囲は夜間出入りが出来ないように高い柵と警備小屋が設置され年がら年中物々しい姿を見せるいかつい「児童公園」だ。
この西大久保公園を起点に、先程の長光寺北向観世音菩薩前、さらに山手線、総武線のガードを潜って大久保駅に至る道は1990年代に東南アジア系街娼がたむろしていた時代に『じゃぱゆきさん』著者の山谷哲夫氏が「ハレルヤ通り」と名付けている。
長光寺墓地の西側の路地にも明らかに連れ込み旅館風の建物がずらりと並んでいる。
怪しげな外観が頭一つ抜きん出ているM字型の変わった屋根を持つ建物は見るからにオンボロだが名前は「ながさき新館」。
休憩2000円、宿泊3000円という料金表の看板もひびが入って適度に退廃感を醸し出している。こりゃドヤ並みに安いな。
あまりに気になるので休憩で使ってみたんですが、こんな部屋に通されてしまいました。昭和40年代から全然内装変えてませんという感じ。テレビや冷蔵庫も当時のものがそのまま使われている。ヤバイ。
おまけにトイレも和式、全面タイル貼りの浴室も付いていた。恐ろしいタイムスリップ感が味わえる旅館だ。こんな設備だからだろうか、我々以外の利用客が皆無なのには笑ってしまった。
ちなみに表の料金表は一人辺りの料金で、しかも5%の消費税が別に取られる。ボロいからといっても特別安いという事もないな。
総武線大久保駅北東側の路地に入ると、そこには一軒のラブホテルと「和風ヘルス寺子屋」というこれまた渋い店構えの風俗店が並んでいるのが見える。
建物が猛烈に古い和風建築なのも非常にそそられるが、ここは1950年代に建てられ廃業した連れ込み旅館を改装してファッションヘルスとして営業しているというとんでもない店なのだ。渋い。ひたすら渋い。これが新大久保クオリティの真骨頂。